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「人としてどうあるべきか」哲学者の言葉から

  • 執筆者の写真: M SD
    M SD
  • 2022年4月14日
  • 読了時間: 4分

ウクライナへの非道なテロに怒りを禁じ得ない。

あれは兵器テロだ。戦争とは言えない。


今、日本で子育て中のママパパ、孫さんを可愛いがるおじいちゃま、おばあちゃま方も、虐殺される母娘の報道にゾッとされてるでしょうし、怒りを禁じ得ないでしょう。


戦後七十七年。人として全くなんの進歩もしてなかったロ。

身勝手のほどは見聞きしてたが、やることが過ぎる

よくも実際に、あのような。。。

「あいつらは人間じゃない」爆撃された町で村で生き残ったウクライナの人々は異口同音に言ってます。

「ロ軍は人間じゃない」


1596年に生まれたデカルト氏は、すでに悟ってました。

「理性によってのみ我々は人間となる」

「良い精神は持つだけでは充分でなく、良く用いることが肝心だ」

A human being must be rational .Be more reasonable.


理性とは「 感情におぼれずに,筋道を立てて物事を考え判断する能力


人は助け合ってでしか生きられない。

人間の子ほど成長に期間のかかる生物はない。

生まれてすぐに立ち上がる羊などに対して、ヒトの子は1年かかる。

乳児は酸素飽和度すら注意しなくてはいけない。目を離せばすぐに命が消える弱い弱い生き物です。

と言うことは、

誰でも、ものすごい注意力と愛情を受けてとりあえず成人を迎えられると言うことである。


ある時に人は。。。例えば、親御さんが生死の境を彷徨う事態になった時、あなた自身がそうなった時、もうダメだとなった窮地を奇跡的に救ってもらえた時、

あるいは、幸せな大恋愛をした時などに、人は、それまでの自分のヒストリーにおける人々や出会いを想う。そして、本当に感謝を感じるとはこう言うことだと思い知る。


先人や親や先輩や仲間がいてくれてることを奇跡と感じるだろう。

そして「自分はぜんぜんコドモだったな」とか、

「あの時バカだったな」とかこうすべきだったなど、

 反省と言う良い気付きを獲得する

それが他者への思いやりに昇華するのです。


それが、大人になれる、成れたと言うことであると言える。

そう思いませんか?


しかし、それは民主主義国家だけの特権だったのか?


ロのプーめらはドス黒く汚いタマシイ。側近どもも、人としての理性が一切カラッポ。消すべき存在としか思えない。

独裁国家は地球上から絶対消すべき。ロ、チャイナ、シリア、ミャンマー。独裁国家は軍事国家だからだ。庶民を平気で殺し続けるではないか!絶対許してはいけないのだ。

ここ数年の香港、ミャンマーを見て、ロは図に乗れると踏んだ可能性は否定できない。

国際社会がもっと厳しく手を打っていたら、ロを図の乗らすことはなかったか、躊躇させられたかもしれない。


地球上から、身勝手独裁者どもを消去することは、その国と世界の平和を、平和な世界の実現には必須なのだと、我々は今、学んでいる、が、なんと情けない学びだろう。。。


ロ人、モスクワ人にもまともな人と、逆の信じられないのが居る。

ニュースでは、献花に訪れた母子を誤走者に押し込める軍やロ警察を見た。また、白紙を持って広場に立っただけの善良な人相の男性も女性も逮捕?!された瞬間が報道された。あるロ男性はSNSで「プーはロシアではない」と書きこんだ。「いずれ逮捕も覚悟の上」だそうだ。

人として正しくない者へ、正しさを言う人が弾圧されてる。ロ警察は女性にも平気で殴ると言う。それでも間違いを正そうとするロシア人たち。

だが、現地在住の日本人によれば「モスクワでは多くの人がウクライナ侵略に無関心に見える」

確かに、勝手に営業再開したうどん屋やバーガー屋には「来てみたらやってたから」呑気な顔でインタビューに答える男性が報道された。他の客からも、悪気などかけらも持ってない様にしか見えなかった。

そもそも、違法営業店に協力すること自体が恥だろう?


日本でも二極化。考える人と一切考えもしない人の差は大きい。


日本語さえまともに覚えていない大人?なはずの日本人と、

敬語を間違いなく使いこなす外国人や子供たち。

差があることは普通だが、あり過ぎるのは問題がある。

何よりも、人としての生き方に時代は関係ない。

してはいけないことは間違いであり、悪なのだ。




親御さんたちは、子にスマートフォンを与えた為に心配が後から後から起きてるようす。

子どもは今のことしか知らない。だから、

アレの中のつながりだけを自分らの世界と思い込む。

「それは強迫観念に陥ってるよ。真の友達は人をがんじがらめになんかしないよ。狭ーい狭い視野に気付きなさい」

との声を聞かない子には、なんらかの大きな落とし穴が待ってると懸念して当然でしょう。

人同士が会話する。

それをイヤ上がる二十代三十代も居る。一人で生きてる気なのだろうが、生活の全ては、他者が仕事してくれたものだ。

それに気が付くはずだし、だから、人と関わりたくない傾向はでは?とも思う。

我々は、そんな連中に惑わされず、是々非々で居るのが、長い目で見て社会を良くすると思う。




 
 
 

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