お辞儀ができない人と コツコツ出来ない人は ショービズには向いてません
- MSD 指導部
- 2019年9月12日
- 読了時間: 5分
[ 人のふり見て我がふり直せ ]
ショービズが向いてない、出来ないタイプ
= お辞儀ができない人と コツコツ出来ない人
コツコツ積むからこそ、自分を作れます。
インスタントはありません。
コツコツ出来ない者は、職を転々とする傾向があるので、
教える立場のみなさんは気をつけましょう。
親身に教えても損します。
人にとって、信用は宝の1つですが、転々とする者は信用を築きにくい。
そして、その都度、信用を落としていくパターン。
何人も . . . そんなのを見てきました。残念です。
お辞儀を カタイものと誤解しているのは幼児性を表しています。
お辞儀は、日本のマナーの1つ。
大切なことです。
なぜ大切か?
お辞儀からは、本心と本性が見えるからです。
お辞儀は世界の憧れ
今や、世界で活躍するアスリートたちによって、
「素晴らしい態度」として賞賛されています。
当方では、様々なプロへの個人レッスンと団体レッスンを開いてます。
プロになりたい人も、紹介によって受け入れて、基礎から教えます。
最近は、マジック関係やパフォーマンスの店も増えました。
そのせいか、まだ素人なのに、店に出たり、出したり。
実際に現場に立ってみて、
「歩いて出るすら出来てない・出来ない自分」に直面し、慌ててレッスン受講を希望するパターン。
人のふり見て我がふり直せ
ある26歳 男 お辞儀ができなかったのでクビになった。
大卒でネット関係に就職し、1年ほどで辞め、自由を求めて?NYへ。
NYにいたが、日本からの依頼でサイトなどを制作。
だが、やっていけなかったようで帰国。
あるマジックバーを見て「楽しそうだな」
それだけで始めた。
この者は、NYにいたにもかかわらず、ショーを一切観ていなかったそうだ。
完全な素人。目の勉強(舞台などを観て学ぶこと)すらしていなかった。
最初の面通しの時に、プロになる覚悟はあるか?の問いに、首を傾げた。
全くカラダも出来てないうえに、かなり致命傷的だったのは、想像力が弱かったこと。
カラダの基礎も応用である表現も「想像できる力」の有無と優劣が大きくモノを言う。
なにもできない上に、覚悟もない者とわかったが、レッスンによって
「今までに自分じゃだめだ。今まで囚われていた自分の思い込みではダメだったんだ」実感すれば、変えられるかもしれない。
人には可能性があるから。
親身になったレッスンを始めた。
レッスン自体は、普通に取り組んでいた。
しかし、彼は、視野の狭い、考えの甘いコドモだった。
「礼義は堅苦しいモノ」程度の思い込みだったのだろう。
その、おおらかさも、奥が深さにも気付かず逃げ出したせいで、もう教えてもらえもしない。
クラスに集まる先輩たちは、その若僧よりも年齢も芸歴も目上。
レッスン終了時は、教える側も習う彼らも、きちんと礼をします。
が、その若僧は、ヒョイと首を動かす程度。
[ 礼の心を持たないその様子 ] は、完全にマイナス印象なので、
「君だけが礼を出来てなかった」と、指摘。
26歳は、ニガ笑いしつつ、首を横に振った。
[ いえいえボクはお辞儀しました ] アピールか?
どうやら本人は お辞儀してるつもり?だったようす。
この26歳は、全くわかってなかった。
自己内面レベルは、お辞儀でハッキリ出てしまう恐ろしさを。
その後、若僧は、無連絡で欠席が続いたので、クビ処分となった。
今時、中学生でも、欠席の連絡はする。
レッスンを切られるとはナサケナイ話だ。
礼義の無さは、一事が万事、どうせソコカシコでやらかしている。
これは、決して傲慢からの判断ではない。
エラそうにしたくて教えてるわけでは無い。
最近まで、先生 と呼ばせなかったらくらいだ。
(先生と呼ばせたがる向きは好きでは無い。感違いしてる傾向がある)
当方のムードは、ざっくばらん。
だが、節目にはキリッとする。
もし、
礼を持つ大事が分からない者を 見逃して 何事もなかったかのように教えた、としたら?
それは、礼義を持つ人への不公平になる。
公平とは、見逃したり、なんでも許す事ではない。
どんな人物でも、一律に扱う事でもない。断じて違う。
普通に礼を持って受講する人たちと、で、ない者を一律に接したなら、
それは、完全に失礼になることと、認識してもらいたい。
従って、
[ 明らかにショーマンシップとしても、社会的にも失礼な行動をする者は教えないルール ] が当方にある。
教える側は 二度と戻らない時間を習う側へあげている
その時間は、
礼を持って、自己研鑽に励むアーティストやパフォーマーにのみ使うべきだ。
習うがわの時間も同じく。
だから、レッスン開始と終了時には、皆で礼をする。
ショーマンシップは、礼義が基本。
自分が望むものを与えてくれる人へ、礼すらまともに出来ない者は
なにをしてもモノにならないだろうし、芸も身に付かない。
ショーマンシップは、礼義が基本。
ひれ伏せ などとは、言ったこともない。
普通に想像できれば、
感謝の心を持たないのは、可哀想でもある。
ルックスや、時の流行りなどによって、一時的にウケるかも?しれないが、
結局、[ 人に嫌われるのは、感謝しない者 ] だからだ。
芸は、本人そのもの。
芸は自分でしかない。
日本でも世界でも、優れた人は、必ずこう言う;
「優れたいなら、自分を磨け」
最低限の、当たり前の礼を持つことすら出来ない者は
人前に出てはいけない。
観客へ 失礼になる。
素晴らしい礼は、観客を感動させる。
それを観ることができたら幸運だ。
また、
いつの日か、
「礼がかっこいいですね」「礼で、ジーンときました」
そう言われたなら、もっと幸運であるし、
君のコツコツ積んできた努力への1つのご褒美だ。
日本人サポーターたちが試合後に観客席を清掃したことも 世界のニュースになりました。
特にサッカーのファンの印象は良くない。
試合結果が気に入らないと暴徒と化し、町や人が被害に遭うニュースも多く聞きました。でなくても、時間お構いなしにさわぐのが目についていた。
なので、
「ヨーロッパ人だからって、サッカー好きばかりではない」とパリ人から聞いたことがあります。
「そんなのより、新作映画や展覧会や舞台などの芸術的な誘いをしてくれたら、乗るわ」
しかし、この清掃によって
「日本人サポーターは違う、行儀が良い」
外国人たちが、認識したのです。
礼義は、プロフェショナルには、必要なのです。
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