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#宮本武蔵の教えは芸能技能にも共通しています 9つのこと

  • MSD指導部
  • 2017年1月30日
  • 読了時間: 11分

剣聖・宮本武蔵の教えには、いかなる芸能にも通じる教えがあります。

武蔵は絵を多く残していますが「誰にも習っていない」との事。

武蔵が熊本の細川家で著した『五輪書』には、

「兵法の理をもってすれば、

諸芸諸能も皆一道にして 通ぜざるなし」

剣の扱いと兵法の心得・技術を磨き身につけたならば

それは全ての技術と芸術に共通すると記してます。

(1つのことを極めれば全てに通じる意)

筆や腕を どう使えば良いのかは, 剣に置き換えれば分かるという事です。

絵でも踊りでも同じ。『呼吸・力加減の細やかさの事』です。

宮本武蔵『古木鳴鵙図こぼくめいげきず』(水墨画については二天の号を用いたものが多い)

墨絵画家 斎藤南北さんによれば

「鵙の目から描かれただろう」

口に獲物を咥えた鵙の目の堂々たる

鋭さ。

古木は

太刀を振るかのように一気に!

何も知らない虫が古木を登っている . . .

気づいただろうか?

一切のムダが省かれた

まさに剣豪の1枚。これは絵師では描けないと感じました。

武蔵の言葉です;

『学者・僧侶・茶人などの風流者・礼法家・能役者などの『道』がある。これらは武士の道ではないけれども、これらの道を広く知れば、それぞれに納得するものがある。

いずれも人間は それぞれの道によく研鑽を積むことが肝要だ』

『日々にその道に励んでも、

心が本道に背けば(自分ではよい道と思っていても)

正しい道からみれば実の道ではない。

実の道を究めなければ、

少しの心のゆがみにつれて、後には 大きくゆがむものである』

宮本武蔵『達磨』DARUMA

禅宗の祖、達磨を正面から描いた武蔵。瞳は丸く描かず、筆で一突きにしているそうです。

細川の殿様から「達磨の絵を」と依頼された武蔵。

描いても描いても上手く行かなかった。

夜、眠りかけた武蔵は、上手く描けなかった理由に気付き、バッと起き上がり、達磨図を描いたそうです。

それに納得して、安眠したと言います。

武蔵が気付いた理由とは . . .?

 それは お会いした時に、直接お話しましょう。

『布袋竹雀枯木翡翠図 』左

ほていちくじゃくこぼくひすいず

岡山県立美術館

わが兵法を学ぼうと思う人は修行の法がある。

第一に

『邪(よこしま)でないことを願う事』

邪心を持っての行動の全ては 醜い結果となり

自身を汚す意。

第二に

兵法の鍛錬に励むこと』

地道に黙々と研究し稽古を重ねること。

実際の本番に出す気概も必要です。

それがないのなら 養う努力が要る。

第三に

諸々の芸(武芸・芸能)を学ぶ事』

諸芸も人の技。学ぶ事は必ずあります。

自分は画家を目指してないから と言う理由だけで素晴らしい作品を観のがすならば、当人の感性と

技術も推して知るべし。

『布袋竹雀枯木翡翠図 』 右 

第四に

さまざまな職能の道を知ること』

諸芸を知る事は、

[自分のジャンルに浸かってるだけでは見えない事]を

教えてくれます。

様々な芸術・技術を知る事で

知らなかったことに気付けるのです。

楽しいですよ!

MSDの指導法の1つ

「人様のお仕事は努めて観なさい」

様々な一流のものに触れること

実際に見る事・関わる人からお話を聞く

それらの実体験と想ったり考えた積み重ねが

いかに自分の将来に役立つのかは、

行動した人だけが、後に分かります。


武蔵『重要文化財 芦雁図』永青文庫

大木と雁のモチーフの筆致は自由奔放。

第五に、

『ものごとの利害・得失をわきまえる事』

今 すべき事は 何か?を分かる事。

自分より他人を最優先にし

無理がたたって潰れる人がいる。

それは、チャンスを逃してしまうとても残念な事です。

自分の将来を考えず、他人に遠慮する . . .それは美学ではありません。

あなたのチャンスを逃し、飼い殺しになるだけです。

仕事のチャンス、上達へのチャンス、

大切なレッスンもあなたの成長や気付きのチャンスです。

引き上げられるチャンスもあったかも。

もったいなくて、他人事ながら悔しくなります

信用できる人間と、その逆の人間や団体かを見極める事

周囲が反対する場合は「反対する理由が確かにある」ケースが多い。

肝に銘じてほしい。

お付き合いは基本、一生もの。

しかし、

出会いの全てが大切な縁ではありません。

離れるべき相手を見極める事は打算ではない。

被害者にならない事は 当たり前の防衛です。

武蔵 重要文化財 『鵜図』岩棚の鵜の目も一気に描かれています。

画面左下に「武蔵筆」署名。朱文壺形印「宝」

武蔵の高弟の熊本の寺尾氏より細川家にもたらされた。

第六に、

『あらゆることについて鑑識力を

身につけること』

「一流のものを実際に見る事」を

積み重ねてるうちに

鑑識力がそなわるでしょう。

作者や演者が それにどう関わり、

その仕事(実力)に辿り着けたのか を

知る事で、

自分の分野に置き換えて

考える事が出来ます。

実際に見て・訊いて教えたもらった事を

想像する事は

人(先達)が、何かを乗り越えた気持ちや

困難な時の踏ん張り方の

お手本となるのです。

物知らずとは「人の気持ちを分かろうとしてない事と同じ」です

その状態で、芸に深みは 出てくるでしょうか??


第七に、

『目に見えないところを洞察すること』

第八に、

『わずかな事にも注意をすること』

3・4・6に共通する教えですね。

その作品 / 技術 / 味わいに行き着くまでのプロセスに

思いをはせる事が出来るかどうか

思える事も

知らなくては出来ない」高等な事です。

「その出来(作品など)の背景」を

知ろうとする行動は

自分のわずかな動きにも

気を配れる実力へ繋がる。

第九に、

『役に立たないことをしないこと』

多少の無理くらいは出来る体力と、

忍耐できる精神力は必要です!

しかし、5のように

人に尽力したのに、逆に損するようなことをしない事

例えば、思いやりからの注意やアドバイスをするにしても

反省しない相手・良い変化への努力をしない人に

いつまでも関わるのは愚かです。

指導の立場であるなら尚更平等である事が大切です。

しかし、平等を感違いしてる人が結構いますね

平等とは、

努力しない人にばかり時間をかけてしまい、

努力している人を後回しにする事ではありません

それは、礼を持って努力する側への失礼に当たります!

努力している人にこそ、あなたの人生の時間を使うべきです。それが平等!

どんなお付き合いにせよ、

パッと見からの思い込みや 肩書きバリューではなく、

[人として上質な人間性がある人]に限りますね。

以下は 兵法についての宮本武蔵の記述です;

兵法の道において、心の持ちようは平常の心と変わってはならない。

(本番に臨む我々に当てはまりますね)

平常のときも戦いのときも少しも変わらず、心を広く素直にして、緊張しすぎず、少しも弛まず、心に偏りがないように。

心を真中におき、心を静かに揺るがせて、その揺るぎのなかにも一瞬たりとも揺るぎを失わないように、よくよく吟味すべきである。

京都・東寺塔頭 観智院 武蔵が描いた襖絵

武蔵は 吉岡一門との決闘後にここにかくまわれていたそうです。

太刀を執るということは、何としても敵を切るということなのである。

受けようと思い、張ろう、当たろう、粘ろう、触ろうと思うから、切ることができないのである。(コンテストでの重要なことを思いますね)

何事も切るための切っ掛けと考えることが肝要である。よくよく吟味しなければならない。

若い頃の武蔵が描いた襖絵 若竹の重なり方は剣客そのもの

兵法で「早いということ」は実の道ではない。早いということは、何ごとも拍子の「間」が合わないので、早いとか遅いとかいうのである。その道の上手な人になると、早くは見えないものである。

(これは全くそうですね!上手い人の動きは簡単そうに見えるのです。すぐマネできそうでも、やってみれば全くマネにもならない、と言う経験はあるでしょう?)

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敵と戦うとき、兵法の技や戦法によって表面上は勝ったように見えても、敵の戦意まで絶えさせなかったため、相手が心の底までは負けていないことがある。そのような場合は、自分が急に気持ちを替えて(安心油断せずに)敵の闘争心を絶やし、敵が心底負けた気持ちになるところを見届けることが大事である。この底を抜く(戦意を喪失させる)ことは、太刀によっても抜き、また体でも抜き、また心によっても抜くことがある。心底から崩れた敵には、警戒心を残すに及ばない。そうでないときには警戒心が残る。警戒心が残るようでは、敵は崩れにくいものである。

(これは本当に命をかけた勝負の事ですね。ステージには関係ないと言えます。ライバルとは好敵手であって、カタキではないのですから。

しかし、意地悪ばかりしてる愚人は「出演者全員の心が通い合った時の、舞台とホール全体が異空間になる一体感」を一生知る事はないのです。気の毒ですが 身から出た錆。我々は 気持ちよく舞台を勤めましょう!)

若竹を[ 戦う時の互いの刀 ]としてるのではと言われています。

この絵を描く前に戦った吉岡一門を供養する気持ちを表したとも言われています。

敵を弱く見なし、自分が強いと思って押しつぶすという気持ちが大切である。合戦の場合にも、敵の少人数を見下し、または大勢であっても、敵がうろたえて弱みをみせたならば「潰す」といって、最初から嵩(かさ)にかかって押し潰すということである。潰しかたが弱いと盛り返されることがある。手のうちに握って潰すという気持ちを、よくよく分別すべきである。(これも本当に命がけ勝負の事ですね。ステージには関係ないと言えます)

脅えるということは何ごとにもあるものである。思いもよらないものに脅えるものである。合戦の場合も、敵を脅やかすことは当然のことである。あるいは鳴り物の音でも脅やかし、あるいは小勢を大軍にみせて脅やかし、また脇から不意を突いて脅やかすこと、これで敵は脅えるものである。その脅える拍子をとらえ、その有利さによって勝つのである。(恐怖は無知からくる)

敵を動揺させることは肝要である。ひとつには「危険と思わせること」、ふたつには「無理と思わせること」、みっつには「予期しないこと」をしかけることである。よく吟味すべきである。合戦では、動揺させることが肝要である。敵が予期せぬときに激しくしかけて、敵の心の動揺が収まらないうちに、こちらが有利なように先手をかけて勝つことが肝要である。(これはも命をかけた勝負の事ですね。ステージには関係ないと言えます)

合戦では、敵に落ち着きがなく、事を急ぐようにみえるときは、

自分は少しもそれに構わないようにして、いかにもゆったりと構えてみせると、敵も自分のことのようになって気持ちが弛むものである。そのゆったりした気分(油断、でしょうか)が移ったと思ったとき、自分の方から虚心になって、早く強くしかけて勝つ利を得るのである。

(焦る気持ちに勝つと言う意味で教えになりますね。焦って成功する事は、まず無いです)

「陰を動かす」というのは、敵の心が読みとれないときの方法である。合戦においても、どうにも敵の勢力や動きなどが見分けられないときは、自分の方から強くしかけるように見せかけて、敵の戦略を見るものである。敵の手の内を知れば、格段に有利になり勝利が得やすくなるものである。(これもTHE 兵法)

人が世を渡るにも一生の内には、渡(川の難所)を越すということが多いことであろう。船路でも その「渡」の場所を、舟の規模や性能を知り、かつ、日の善し悪し(吉凶)をよく知ること。

友舟(ともぶね)は出さなくてもその時々の状況に応じて、

あるいは横風を利用し、あるいは追い風を受け、

もし風が変わっても二、三里であれば櫓(ろ)や櫂(かい)を漕いで港に着くつもりで、舟を乗りこなして「渡」を越すのである。(自身を頼れる経験に基づいた方法を積めという事でしょう)

その旨趣を理解して、人の世を渡るにも、全力をあげて困難を乗り越えようという意志が必要である。(事を起こすにはタイミングの良し悪しはあります。あらゆる知識と経験、また、有益なアドバイスを総動員して「考えよ」という事でしょう)

観・見ふたつの 目の付け方がある。

観の目(大局を見る目)を強く、見の目(細部を見る目)を弱くして、遠い所をしっかり見極め、近い所を大局的にとらえることが、兵法では最も大切なことである。(木を見て森を見ず。こんな人は案外居ます。それから「見る力が弱い」と指摘されてる人は全力をあげて見る能力を鍛えなくてはいけません!呑気に育ったか、甘やかされた残念なタイプに多い傾向ですが、成人以降は、自分の躾は己でするものです。ですので、方法は自分で考えることです。見る力がない 又は弱い人に 100%やり方を教えても、それを実行しないタイプが多い。(見る能力が高い人ほど即座に実行する)

待ちの姿勢のタイプは、教わるのを待つだけで「自分から」がない。

「自分から」考えて何かを質問した事がない習い手ならばそうでしょう。

指導者側は、イライラしますが、そういうタイプには逆に全て教えないことです。教えたって実行しなければもっとイライラします。彼ら彼女らには「自分で考えること」を覚えさせなくてはいけません。幼児の話ではなく、成人の話です)

兵法 二天一流

二天一流は、武蔵の合理主義が土台となっているようです。

「武士は元々、刀を2本挿している。これを使うべきだ」

刀は しかし、とっっても重いです。

(私が持ったのは撮影用の小道具ですが、想像以上に重かったです)

「たいへん重い真剣を大小2本も同時に自在に使いこなすには、

相当の訓練が、日々の訓練が必須ですね

武蔵は その理想を訓練で叶えたのです」(兵法二天一流 第11代師範 宮田政心 氏)

ちなみに

宮本武蔵『古木鳴鵙図』を発見したのが この絵を描いた人

渡辺崋山 わたなべかざん(1793-1841)本名のぼる。蘭学者。谷文晁らの教えを受け,西洋画法を取り入れた独自の画法を確立。日本画の父とも云われる

『鷹見泉石』 蘭学の先輩を描いた崋山45歳の作。

陰影法で繊細に整えた写実的な顔の描写。

着衣はゆったり。人柄すら伝えていますね。

まるで現代画のようです。傑作です!

江戸時代/19世紀 絹本着色 縦115.1 横57.1 渡辺崋山は田原藩(愛知県)の江戸詰家老。

29歳のとき『古木鳴鵙図』を 骨董屋で見つけた華山は まだお金のなかった頃だったとか。先ず裕福な友人に買ってもらい、後に譲ってもらったとか。そのおかげで 作品が残っています。

箱書

文政庚辰(3年)

渡辺崋山 詳らかに鑑る

MSD 指導部

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