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実は、内心めちゃめちゃ恋してる オトナの歌詞・小唄から


実は、内心めちゃめちゃ恋してる オトナの歌詞を小唄からご紹介!

大人による 大人のための 大人の社交場で楽しまれた お座敷小唄

その歌詞の世界を見てみましょう・・・恋する想いに時代はないのですねー



逢い見ての

♪ 逢い見ての 後の心に比ぶれば 想いぞ勝る昨日今日 いっそ他人であったならこんな苦労はあるまいに 焦がれ死ねとは出雲の神も ほんにアダ(徒)やら 情けやら

(恋人になった今は、それまでの逢うまでとは段違いに恋心が勝ってる。いっそ他人のままの方が気が楽だったでしょうに、恋焦がれて死ねなんて、出雲の縁結びの神の恨みなのか情けなのか・・・。


字の違い 見落とさないで!) 

仇は敵、恨み徒は甲斐がない、不誠実、もろい、儚いうわつき。



逢うが別れの初めぞと・・・曇りがちなる花の世の 雲が包みし お月さん はよ 顔みせてくださんせ

(逢うのは別れのスタートと言われる桜の咲く世、雲が隠しているお月さん、早くお顔を見せて、この心を軽くさせてね)



濡れてしっぽり

♪ 濡れてしっぽり 打ち解け顔に 更けた世界をしみじみと エェ憎らしい アダ事な夢に結びしつがいの蝶々 末の末まで二人連れじゃわいな 謗ればそしれ こっちゃ何でもかんでもかまやせぬ

(ラブラブの二人 心まで打ち解けあって、しみじみ・・・でも、浮ついた夢の中で結び合ったペアの蝶々だったなら憎らしいわ 二人は来世も一緒なの 愛し合う二人をやっかんで悪く言うならご勝手に〜  まったく相手にしないわよ)

 「夫婦は二世」と言われた時代。好きあって添う二人は来世も一緒、の心意気。



そんなつもり

♪ そんなつもりもないくせに そんなつもりの顔をする そんなあなたを知りながら まんざらでもない 春の宵

(ほろ酔いの二人。芸者と客。けっこう言いたい事を言える仲でしょうか。私に恋する気はないくせに、惚れたような顔して見せる そーいう人なのよあなたって。でも、ちょっと気分は良い。いい春の宵ね)


シャボン玉

♪ 美しく儚きものよシャボン玉 吹く麦わらの口元に 乗って離れてふわふわと 浮かれ坊主の上の空 ホラ吹く風にぶつかるや 五彩の虹と散るしずく・・・

(言葉巧みに乗せられて、恋の気分で浮かれてふわふわ・・・上の空だったけれど あれは口説くための手管だったのね 気づいた途端、恋の気分は虹のように消えた)

シャボン玉に自分の恋心を見た女性ですね。


「あら?シャボン玉は近代のものでは??」・・・と思われたあなた、良い気付きですね!

あのね、わたくしも最初は驚きましたが、江戸期には、夏の午後に【玉屋】がシャボン玉を売り歩いていたのでーす!

大坂では頭巾を被り「吹き玉や〜シャボン玉〜吹けば五色の玉が出る〜」ゆったりと口上を述べていて、江戸ではセカセカ「「たまやーたまやー」だったそう。

首から下げた箱にシャボン液を入れ、わらや葦の茎(ストロー)につけてシャボン玉を吹いてみせるストリート商売でした。五彩の虹と散る「しずく」確かに雫。よく見ていますね。

 その玉屋の風物詩は、歌舞伎舞踊にもなっています。【清元 玉屋】男舞

ずーっと前。ある踊りの会で、わたくしの大好きなお師匠さんのお一人が踊られました。そのかたは、いつも穏やかな笑顔。周りにエラそうな素振りなど一切されない 柔らかな 方でした。お会いするのが楽しみだった方です。子供相手の玉屋、その衣装とムードがピッタリでした・・・なぜ、良い方は早く逝かれるのでしょうか。もっと、お話を聞きたかった方です。

「また今度」では、逃してしまう。未熟な頃はそれに気付かない。まさか会えなくなるなどと考えもしませんもの。(やっと大人になれた時には・・・)シャボン玉、玉屋で思い出すなんとも言えない思い出です。


この先に

♪ この先に どんな桜が咲こうとままよ わたしゃこの樹で苦労する 散るも散らぬも 主の胸

(私の将来に咲く花が どのようであっても、私は私の人生を頑張るの。花が散る散らないもダーリンの胸の中で 。/ または、 ダーリンの胸先三寸なのさ)

「主」とは好いた男性の呼び方。良い仲でしょう。「主さん」といえば、まだ遠慮のある顧客と思われます。

昔の女性は、なるべく早く可能な限り良い伴侶と夫婦になること、遊女・芸者ならば、良い旦那に引かされる(の引退)のが 女性の幸せである、と決められておりました。

実際には「なんでこんな奴と」と思う女性の方が多かったかも??

(今。身分に合った結婚を強要されず、離婚もしやすく、女性の職業も多種多彩になった。その感覚で見てしまうと、江戸期への理解・咀嚼・想像を邪魔します。秀吉以降、幕府は身分階級社会に固執しました。生まれで仕事も、一生も決まった時代です

この歌詞は芸者の胸の内。勤めを寿引退(立場としては武家の側室か大店の愛妾ですが)好きな人との現実の暮らしは、やっぱり嬉しかったろうと思います。事情あって芸者になったのですもの。そういう縁を期待しない覚悟をしてたけれど、縁あって・・・

しかし「男の気が変われば、「先はどうなる?」という心配は いつもあったと想像できます。(今だって、大喜びの結婚披露宴の まもなく後に、離婚しましたーという報告が少なからず)

「自分の幸せの花を、散らすか散らさないかはダーリンの気持ち1つ」という、嬉しさに混じる不安にも腹を据えていたのは、さすが芸で生きた女。


芸者といいつつ身を売る輩も居たのは事実です。芸能は身につくまでに年月がかかりますから、その努力を横着する女など(待っていられなかった事情の女も居たかも、ですけれど)そんな連中に流されなかった芸者なら本物。

引かされる女はルックスだけではなく、気風、気骨と良い色気と気配りの効く本物が 良い旦那に惚れられたはずです。

大人の縁と決まり事を粋にこなした人たちが、実際にいはった。

会うて話てみたい



そう言えば【粋】・・・

粋な人をあまり見なくなりました。

粋とは、ええカッコする意味と違うし、ただ奢ることでもない。

粋は、思いやりによる気配りやね。

相手が最も喜ぶ・助かるであろう事を さりげなくサッとやると「粋」と言われます。

しかし、それには、余程、日頃から相手を、事情を分かろうとせな できひんことやね

また、相手やその場をに不快感を与えないスマートな気配りも【粋】です。









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