蔦重の時代の歌舞伎 二代 瀬川菊之丞(1741〜’73) 大人気の女形(動画) KIKU-NO-JOH 2nd. video
日本舞踊 大阪 初心者体験 緊張なしで楽しいレッスン!
4月3(木)18時〜20時 扇町スタジオash アネックス4階にて
動ける服装ならなんでもOK! 1時間2000円・2時間通し3000円
「綺麗な姿勢・ヒップや脚力作りにもバッチリです!」 直接どうぞ!
菊之丞 ヒストリー
江戸歌舞伎で、子役から注目され、美形の女形に育ってますます大人気に!
武州・王子の富農の生まれた5歳児 徳次を、初代は 養子にしました
初代 瀬川菊之丞(1693〜1749)
上方から江戸へ下って舞踊劇で大成功!(当時「三都随一の女形」と称)
その初代が、まだ5歳だった子の可能性を見抜いたのですね
21歳で二代目を襲名
菊之丞は代々、俳名が「路考」
二代目は「王子路考」(王子の出なので)
三代目は「仙女路考」(仙女のような美女形だったようで、二代目夭折後に、大坂から呼ばれました「王子路考に似てる」ので 白羽の矢!この人もルックスに甘えない努力家だったようです)
路考髷、路考茶、路考櫛などもHIT!色々と庶民は飛びついたみたい
EDO people everybody loved this beautiful actor
He was born in a rich farmhouses
KIKU-NO-JOH 1st adopted the boy (when He was 5 yers old)
二代菊之丞は、グッドルッキングに慢心せず、稽古研鑽を重ねたので、
所作事(舞踊劇 長唄舞踊)にも優れ、名実共に一級!
写実も、所作も、時代物も、世話ものも「兼ねる」能力の 開発の努力と工夫は、二刀流どころやないの!
Even He was beauty but, He was not a lazy ,He got many skills
Those were the result of his Efforts
He could play Realism, Dancing play, Historical & Public story
惜しいことに、まだ32歳、これから 芸の味わいを深めていく若盛りで 、 夭折
江戸っ子には 印象が いっそう強く残った と伝わります
現在の「鷺娘」のラストも「二代菊之丞の」
玉三郎氏が緻密に美しく演じるラストは、実は、原作と異なるの
元々は「竹田カラクリ」(からくり人形芝居)
そのラストシーンは、[美しい娘が白鷺に戻って めでたく飛び去る] ハッピーエンド
でしたが、
歌舞伎は、とかく、ヤヤコシクしたがります(当時のウケでしょうか)
宝暦12 1762年 二代目の魅力を出すため として、
「雪中で、恋の妄執に取り憑かれた娘は畜生道に落ちたような地獄の責め苦」なる有様に変更されてしまい、今に至る・・・
二代 菊之丞ver.が 今に継承されたのね
32歳で、活躍が途切れた二代 菊之丞ですが、
252年後の今でも、
「鷺娘 二代目ヴァージョン」が継承されてることに きっと驚き&ニッコリ
・・・「いい人生だったな」って ( ´ ▽ ` ) 思っててほしねぇ・・・
He dead only 32 years old EDO people lamented the good young actor
Today's SAGUI-MUSUME is different from Original
It was an arrangement to bring out his charm
He could hand down his performance to posterity . . . He was a lucky one
玉三郎さん(当代随一の女形)
役の所作を緻密に「思う能力」がズバ抜けてます
(以前、玉さんの、教える目的での発言で確信)
「思う力」の有無は、芸能力の有無に特に重要です
「思う力」とは、「想像力」 つまり、「思いやり」
「遣る」
相手や誰かの気持ちに、自分の思いを先方へ遣る(行かせる)
気持ちをその人へ行かせるのね
遣唐使の遣ね
想像できないなら、そりゃ 気は 付かないねぇ
気づいてない部分の 仕事(我々ならば舞う・演じる)も、推して知るべし(怖・・・)
毎日のように お稽古してると、以前の踊りよりも気配りができてきます
それは、気づいてなかった細部なの
「あ〜ぁ 大人になるまで、こないに わからんことだらけ??」
気づく度に、どなたも思うんやない?
・・・ヒトの精神成長は、遅いものやねぇ
だから、「芸は一生」かかるんね
「神さま〜!
お互いが想像し合って 気分良い関係を構築する [思い遣り文化] を、地球人のスタンダードにしてね〜!」
2代目 瀬川菊之丞の 愛関係
かの男色 平賀源内との仲を 言われますが、
「囲い者」の語源は、二代目でした
「囲い者」とは 「お妾」
LOVERを 黒板塀で囲われた家に住まわせたので「囲い者」
二代目のソレが世間にバレて、言葉が広まったそうです
人気者はツライ?
寛政の改革までは「 妾を持つのは 表立って妾を持てない坊主ばかり」?!
・・・ 1787〜93年ごろの坊主って??
(仏教修行では男女関係 禁止 でも、エロ坊主らが遊郭の常連だったのは事実!シャー! 吉原スラングからもわかります 修行する気・・・無〜い)
時代が移り、
文化文政期 1804~’30 には、人気役者、大店の主人や番頭までが、
「一緒になれないけど 大好きな女性」 を 別宅に住まわせ始め・・・
彼女たちには 家が用意されました(長屋じゃなく)
黒板塀に見越しの松、飯炊の婆さん、ネコが一匹 がスタンダード
(歌舞伎「与話情浮名横櫛」を歌謡曲にした お富さん の歌詞も有名
♪ 粋な黒塀 見越しの松に 婀娜な姿の洗い髪 死んだはずだぜ お富さん〜)
あの時代・・・女は危ない仕事より、
好かれて、安全に暮らせる囲い者の方が 幸せやった・・・かな
KIKU-no-JYO 2nd's “LOVE"
He & HIRA-GA Gen-nai were sodomite.
(Gen-nai ; a writer of a popular novel in the later Edo era)
One more, [ The 2nd was a origin of word ]
Do you know “ KAKOI-MONO “ (concubine MEKAKE)
In The men give a enclosed house & women were lived in (not a terrace house)
Kako-u = enclose
MONO = person or things
The 2nd came out his secret MAKAKE & its word “KAKOI-MONO” spread public then.
Because The 2nd was at the height of his popularity.
He was a very influential actor then.

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