浮世絵 [演奏する美人たち]動画
以前もご紹介しました[演奏する美人たち]を動画に制作しました
歌麿は、花魁の喜瀬川さん(吉原の松葉屋)をモデルに何作も残してます
ここでは雛飾りの五人囃子に見立てた作品の1枚です
人気花魁 喜瀬川さんが締め太鼓を演奏しています
歌麿の、娘たちに流行っていた浄瑠璃を奏する紅葉さんです
江戸の女性たちは、流行りの浄瑠璃を見聞きするだけでなく、歌って弾いたようです
(難しいはずですが、流行ったのですね!)
国周の「月雪花」では、楽しげな音曲が聴こえて来そう!
胡弓は日本の擦弦楽器で、
三弦と四弦の二種があり,独奏や、三味線や箏との合奏に用いられます
黒革亭 雪麿の花魁は表情が優しい
(花魁はこのように帯が前結び&かんざしがいっぱい)
「三味線の調子も今宵 忍び声 夜毎夜毎に・・・十返舎一九」
(後半わかりません ひき?しえて◯ん??わかる方〜教えてねぇ)
似た感じの作品ですが、こちらは三味線を弾く芸者です
見るからにリッチな着物の
彼女の芸がこのリッチさをもたらしたのでしょう
胡弓といえば、[玉三郎さんの阿古屋!]
現在、阿古屋を演じられるのは玉三郎だけと言われます
ハイスキルな遊女あこやさんは平景清の恋人といわれる美人
彼女に横恋慕するヤツから「景清の所在を真に知らないのか?偽りなき事を、演奏して証明せよ」と命じられます
「もし隠し事あれば演奏が乱れる」そんな体の嫌がらせでした
阿古屋さんは、琴、三味線、胡弓を実際に演奏します
演奏だけでも えらいことむつかしのに!
玉三郎さんは
【恋人が心配で一杯の心情を隠す阿古屋】を【演じつつ】も
【景清への思慕を端々に出す恋する女の芯の強さ】を観せました・・・全く驚異的! 玉さんは当代1の女形!
二代目歌川国貞「風柳月三夕」
いかにも楽しそう!夏のお座敷遊び
三味線弾けたら最高ですねー!
隅田川では船遊びの様も見え、両国橋も見える座敷にて、気の置けない仲間パーティー!「混ぜてー!」
ちなみに、わたくしは 締め太鼓を少々 (^。^)
バンド組んでた10代は ヴォーカルとパーカッション担当
ドラムの基礎練習もしてました ^^;
打楽器が好きなの ワクワクしますもの
秀麿『三味線持つ美人図 立ち姿』
かっこいいですねー!
この芸者は、真夏の着物である薄物に、シャリ感のある帯
The ミッドサマーコーディネーション
8、歌麿「見立 浄瑠璃姫』
浄瑠璃が流行っていたことが感じられる作品です
浄瑠璃は古く室町期から起こり、時代の中で又、各地でさまざまに流行りました
歴史が深い芸能は、必然的にややこしくなります
ここでは簡単に・・・(?)
「古浄瑠璃には、江戸の金平節、半太夫節、石川の加賀節、嘉太夫節、京阪で流行った難波浄瑠璃の文弥節の浄瑠璃、播磨節、京都の一中節となり、」
(ここまでが古浄瑠)
「1684年に竹本義太夫さんが義太夫節をリリースして大ヒット連発して以降、義太夫が代名詞となった」
浄瑠璃は後の一中節の後からも、豊後節へ、またそこから別れて常磐津、清元(尾上右近くんの家が継いでます)、富本節、新内 等に分かれ、そのまま残らずとも、どれかに吸収されて部分的に残っています
浄瑠璃は、上記 全てのルーツなのですね
現在は、[竹本]と呼ばれ(竹本義太夫さんへのオマージュhommage)大阪の人形浄瑠璃=文楽として継承中
文楽は、3者一体の芸能
全身で語る太夫と、
三味線がストーリテラー(歌ではない)と、
芸術性の高い人形を(長ーーーい修行を要する)人形遣い3名によって、人間の喜怒哀楽や業が演じられる芸能です
(海外での人形劇は人形の作りや操作も子供むけしかないので、来日客は、文楽を鑑賞すると芸術の高さに驚く)
ちなみに、文楽
1872明治5年 三代植村文楽軒が文楽座を松島新地(大阪西区)に建てて以降の呼び名
人形浄瑠璃の代名詞になったくらいに大ヒットしたことがうかがわれます
(浄瑠璃の起源は室町期ですから)文楽は、人形浄瑠璃の呼び方としては「新しい」方ですね
横笛 「あぁ、横笛・・・」
わたくし、ある時、横笛をリクエストされました
しかし、期間があまりに短く、人様に聴かせるに至らず
楽器は音が出せたら、やっとスタート!そこから音楽に昇華させる訓練期間は必要です
それに、問題が・・・
練習中にね・・・ふーっ ってなるんです(貧血みたいな)
ふーっとなりながら2週間 取り組みましたが、思ったよりずっと息の量が要るみたい
低血圧に横笛は きつい楽器でした(リコーダーは平気!)
浄瑠璃姫 解説:
義経伝説中の女性キャスト、三河国 矢矧(やはぎ)宿の長者の娘。
薬師瑠璃光如来(衆生の病を治す薬師如来のこと。梵•Bhaiṣajyaguru〕)の申し子。牛若丸が奥州下りの折に三河で 浄瑠璃姫を見初め、一夜を契る。のち牛若は吹上の浜で病に倒れたが,姫の介抱で本復(さすが薬師如来の申し子)
古浄瑠璃「十二段草子」に脚色されました
【十二段草子】:室町末期,12段に構成された操り人形芝居。古浄瑠璃、お伽草子(作者不明)
浄瑠璃:この物語の流行によって、同じ節回しで他の物語も語るようになり「浄瑠璃」が「語り物」の代名詞となり、ジャンルとして浄瑠璃と呼ぶようになった
17世紀初め、三味線伴奏で人形芝居と結びつき,人形浄瑠璃(文楽)が起こり,初め京都で,のち大坂、そして江戸へ流行が広がった
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