江戸のスイーツ(動画)Sweets in EDO era(ukiyoe movie)
日本舞踊 artist 実乃鈴の のんびり読むブログマガジン
MINOSUZU's blog " Knowledge of various about JPN" magazine that read leisurely This time “ about WA-GASHI sweets in EDO period”
和菓子 WA-GA-SHI : There a wide variety of Japanese sweets . J's sweets are not only delicious they are also feast to the eyes .They are noto too sweet .so, you can eat one after another .But , do not over eat!
現在の和菓子は江戸後期には、ほぼ完成されてたとか!
饅頭・羊羹・赤豆餅・葛饅頭・鹿子(かのこ)餅・煎餅・八百蔵煎餅・飴など(宴遊日記別録)・・・
江戸後期には、輸入品でなく、国産の砂糖で作られたぜいたく〜な菓子が吉原で流行ったそうです。高価なので上級花魁の流行りだったでしょう。
歌川国周『今様源氏三曲遊興之図 』1860(万延元年)国立国会図書館所蔵
画面前方にある二つの足付の折敷(おしき)
小さい方の足付折敷には干菓子か落雁( raku-gan )
大きいほうはフルーツか金花糖(kin-ka-toh)
金花糖:練った白砂糖を魚や果物などを型に入れて焼き、彩色した砂糖菓子)
不夜城・吉原の売上は、日に千両 (だいたい1億円)!さすが 調度類も豪華です。豪勢な座椅子は総蒔絵で飾られています。
この贅沢な三曲遊興の優雅なシーン、実は、 不穏な頃の(桜田門外の変)。
「三曲」とは三種の楽器「三味線・琴・胡弓」の合奏のこと。(後に 胡弓は尺八に代わった)
この絵では三味線がありませんが3種類の楽器のセッションを三曲と称したようです。
胡弓の担当は 白地打掛けに何やらイカツイ柄の花魁。
琴を弾く花魁は、蒔絵か金象嵌とおぼしき贅沢な琴。そして、客が尺八。
この男はどんな人?花魁たちの様子からは、リラックスできる客であるようです。それにしても・・・呑気。
お軸(中まわしのブルーもキレイ)、染付けの花生け、蒔絵の箱、ガラス製(さすが贅沢!)の丸行燈。
燈火は高価な和ろうそく(一般的には油皿)屏風は鷹狩りの様子
みたいですね。
掛軸の下に染付けの花入れ。そこに白い大輪の花が咲いています。一重咲きに見えますので . . . 白椿かしら。
さくら餅
三代・歌川豊国 『二十四好今様美人』
コロンと可愛らしい急須にお湯呑みを置いて・・・嬉しそうな女性。
パクパク食べています「甘い物好 あまいくちに ついのせられて
くらひこんだる さくらもち」(宴遊日記別録)
「安永2年11月26日 夕方 桟敷へ芳野屋吉右衛門来、干こうを貰う」
*ここでは干菓子を指すらしいですが、干こう の 「こう」 は穀粉で作った粉餅・餅菓子のことです。(搗餅(つきもち)は蒸したもち米の餅)
「宴遊日記別録」の「甘こう」は生菓子のこと。
芝居茶屋の主人や知り合い同士でお菓子をプレゼントしあっこしていたのですね。
江戸初期のお砂糖は超・貴重でした
1643『料理物語』菓子の部には、甘いあんはまだ登場せず、玉子そうめん(これは好き!)・ごぼう餅・葛餅・ちまきなど14種の菓子の作り方が記載。砂糖がなくてもお菓子は
作れるのですね。
1841 『菓子話船橋』江戸後期。国産砂糖の生産が始まり、菓子の種類は多彩になって、小豆の煮方やあんの練り方など、現在も通用する優れた技法が記されているとの事。
今も昔も、和菓子は「見て美しく、食べておいしく、心をなごやかにしてくれるもの」として、多くの人々に愛されています。 (引用 松下幸子千葉大学名誉教授)
江戸のスイーツの本 「江戸の菓子屋」によると・・・
1689『江戸惣鹿子』(えどそうかのこ)江戸市中の菓子屋は49 軒。江戸城を中心にした武家屋敷付近に多く在った。
1787『七十五日』記載の食物店 391軒の中 218軒が菓子屋、その多くが江戸城東側の日本橋を中心とする当時の繁華街に分布。
約100年で 菓子の需要は武家社会から庶民にも広がっていたのです。商家の台頭ですね。
先人の知恵のおかげさまで、今のわたくしたちも「おいしーい」ニッコリできるのですね!
個人的には、本葛100%の透き通った葛まんじゅうや葛切りが好きです。夏にぴったり!
(葛切りや葛まんじゅうといっても白濁のは葛以外のデンプン製です。本葛は柔らかなニュアンスのある透明ですね。わらび餅と表記されててもわらび粉ゼロのもありますし、買うときは吟味せねば・・・)
三代 歌川豊国 (国貞)『二十四好今様美人』 TOYOKUNI Ⅲ
江戸の菓子屋さんに腰掛けている婦人の左の菓子箱に「横 山 三」「望」と読めますね。
ここは「横山町三丁目の望月」(辻占で有名だった)
(引用:松下幸子千葉大学名誉教授)
江戸当時の菓子屋 菓子屋、駄菓子屋、煎餅屋、飴屋、有卦(うけ。陰陽道で,人の生まれ年を干支に割り当てて定めた幸運の年回り。この年回りにあたると,よいことが七年続くという) (「江戸の菓子屋」中村尚美著)
辻占 TSU-JI URA:占いの事。おみくじや役者絵が入れられたフォーチュンせんべいです!
Fortune rice crackers with fortune-telling fortune-telling and pictures of actors were popular sweets in this shop.
江戸時代の 干菓子の種類
(餅菓子や饅頭などの生菓子に対して干菓子(HI-GA-SHI)と呼ぶ)
落雁(らくがん)・おこし・有平糖(あるへいとう)・金平糖・煎餅(せんべい)類・飴類・葛まんぢう、水やうかん、うきふ、金玉糖、こほり餅・・・
HI-GASHI ; dry Japanese sweets. RAKU-GAN , OKOSHI , ARU-HEI-TOH , KONPEI-TOH , SEN-BEI , CANDIES , KUZDU-MANJYU(a ball of sweetened bean paste glazed with kudzu starch) , MIZDU-YOH-KAN (soft sweet bean jelly) . . . etc .
三世 歌川豊国『妓三十六佳選』虎屋文庫所蔵 TOYOKUNI Ⅲ
禿ちゃんが運ぼうとしてるのはらくがん。
微塵粉(みじんこ)&麦こがし黄粉(KINAKO)などに砂糖をまぜてこね,型に打ち抜いたもの。水分が少ないので保存のきく小さなお菓子。
落雁は干菓子の代表格。
現在でも各地に名物の落雁がありますね。
宮城県塩釜の 無着色の 志ほかま とても良かったです!小さくて控えめなお店ですが老舗。(自分へのお土産に もっと買えば良かったーと思いました)塩釜はお寿司もよろしくて・・・海老味噌軍艦、細かな作業によるその味は忘れてません。板さんたちも明るくて楽しくて!寿司屋はそうこなくちゃ! 好きなのをドンドン取るのは良いけれど、板さんと会話のない状態はちょっと . . . 。ただ黙々と頼み、黙々と食べる・・・そんなん つまらない。
板さんたちとの会話も寿司屋さんに行く目的。魚のことイッパイ聞けるし、楽しい会話込みで寿司屋さんで食べる楽しさなのです。(最近は客と会話しない寿司屋が増えたような)
エラそうな板さんはモッテノホカ!
小樽の某店は感じ悪ワル。旅気分ぶち壊し、気分台無し。スグ出ました。時間を返せーですわ。店先で可愛い女の子にクーポン配らせてる店はやめたほうがよろしいですよ。
RAKU-GAN ; dry Japanese sweets made of soybean flour and sugar.
落雁は、米などの穀類を炒って粉にし、砂糖や水飴を混ぜて木型に入れ、押し固めて作る菓子の総称。
穀類の種類によって麦落雁・豆落雁・粟落雁などの種類があります。
使う木型によって、
いろいろの形の落雁がありました。
1689『合類日用料理抄(ごうるいにちようりょうりしょう)』落雁の作り方の中に「菊 扇 草花 生(しゃう)類いろいろを彫りこみたる木の型」とある。
1800年代(文化文政)大型の精巧な木型が彫られ、彩りも美しい豪華な落雁も作られたよう。
江戸時代の「あざらし落雁」
1836『名陽見聞図会』熱田(愛知県)の浜で生け捕りになったあざらしくんは、見せ物として話題を集め、土細工のあざらし人形、あざらし手ぬぐい、そしてあざらし形の落雁も作られたのだそう。(2001 『和菓子おもしろ百珍』中山圭子著) 引用 松下幸子千葉大学名誉教授
注) 江戸時代の煎餅の材料は、米粉よりも小麦粉が主流でした。ちょっとビックリ。
江戸には 上菓子屋から立売りまで、さまざまな菓子屋があったそうです。
上菓子屋(上等の菓子を扱う)江戸の有名な上菓子屋
「大久保主人(もんと)」「桔梗屋河内(ききょうやかわち)」「金沢丹後」「鯉屋山城(こいややましろ)」「鈴木越後」など。
1805 文化2年頃 絵巻物「熈代勝覧」(きだいしょうらん)
江戸の今川橋〜日本橋までの大通り(現在の中央通り)の西側の町並みに、90余軒の店と、さまざまな職種や身分の人々約1700人が描かれています。
問屋が多い土地柄からか、菓子屋は1軒だけ。ですが、ストリート菓子屋(道路の真中に台を置いて菓子を並べた立売り)は6ケ所も!
c. 1805 Bunka2
One picture scroll depicts more than 90 shops and about 1,700 people of various occupations and positions in the town on the west side of the great street (now Chuo-do) from Imakawabashi to Nihonbashi in Edo.
Because there were many wholesalers, there was only one pastry shop, but there were six street pastry shops (Ta-chi-uri with sweets placed in the middle of the road).
カラフルなお菓子はなんでしょう?? どエライ色、引きます・・・
5月にゆかりの何かかしら・・・?(ご存知のかたは教えてねー!)
What are the colorful sweets??
It's too hard a color.
I wonder if it's something related to May. (Tell me if you know!) )
広重 『江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅』, 豊国 平のや 書画五十三次
HIROSHIGE " MUKOH-JIME cherry blossoms "
名物桜もち(お土産)を運ぶ二人の女性。
傘の担ぎかたや 粋などてらから(姉さんかむりしてますけれど)単なる主婦ではなさそう。
連れの女性は塗り下駄ですし。
Two women carrying the famous Sakura mochi as a souvenir.
ズバリ!!「桜餅はダンゼン!上方の!」
春に京阪に来はったら、さくらいろの道明寺粉(可愛いつぶつぶ感)の桜もちをどうぞ!
さくらいろが合成の食紅でないお餅屋さんのがお勧めです。
そもそも、関東のは餅ではなく小麦粉なのでミニクレープ。
和菓子でなく和風菓子ですね。
この絵の頃の桜もちはお餅?小麦粉?
待乳山聖天宮
和歌の世界で「待乳山」と言えば、 奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。紀ノ川(吉野川)に臨む。
ですが、この絵は、浅草本龍院の境内にある小丘。てっぺんに本堂(待乳山聖天堂)があるので聖天山とも呼ばれたそうです。
この川は隅田川。上野の台地へ続くそう。うちらは江戸の土地勘はないですけれど、この絵の中に入ってみたい、そう思うロケーションですね。 あぁ、背後には、乗ってみたい屋根舟が!!! (^-^)
(現在の観光屋形船とは違うでしょう?乗りたいのはコレなの)
*水無月 6月の和菓子 氷を表しています This Wagashi reflect the ice .
梅雨の頃に 水無月とは不思議なネーミング・・・そう思ったことはございませんか?
水無月の「無」は「の」だったそうです。梅雨だから「水の月」 納得。
(だれー?「無」の字にしたん?)
寒い雪景色に元気が出る甘い匂いと甘い味
サツマイモ
三世歌川豊国『小春十二月の内初雪・焼芋屋 』虎屋文庫所蔵
1793 寛政5年冬 江戸に焼芋屋ができました。
サツマイモの旬の冬になると、江戸の番小屋で焼芋が売られてたそうです。
番小屋って交番みたいなところ。町内警備のため町境に設けられた木戸の番人が居た小屋。その番人たちの給料は少なかったので副業として駄菓子やろうそく、冬は焼芋などを売ってたそうです。(専門の焼芋屋は少なかった。1853『守貞漫稿』)
日本のさつまいもは甘い! . . . 海外の芋や南瓜(なんきん。かぼちゃのこと)は、ちっとも甘くない。ヨーロッパにいた頃は日本のなんきんが恋しかった。
. . . スイートポテトなんて焼き菓子は、元がおいしないからでしょう。
日本の美味しい南瓜は、くり抜いて遊ぶだけで食べないなんてコトしませんもの。
日本の甘いさつまいもに欧米の真似して砂糖を足すのははtoo much ですよね。
1735(享保20年)さつまいもの種芋を 幕府は取り寄せた(すでに琉球から薩摩へ伝わっていた)飢饉(ききん)対策として甘藷の栽培」を勧めた青木昆陽(1698〜1769 将軍吉宗の命でオランダ文辞を学び,蘭学隆盛のもとを作った。世に甘藷先生と称された)に試作を命じた . . . 青木昆陽さんのおかげ様で、さつまいもは全国へ普及しました。
1789 (寛政元年)『甘藷百珍』122種のさつまいも料理のレシピ本。
焼芋の作り方→「完(まる)にてわらの熱灰にうづみてよし。近年 焼いもの新方(しんほう)世におこなわる。味わい うづみ焼に及ばず」
ショ糖は60度くらいが最も甘さに変わる温度。ですから 埋み火というごくトロ火調理がベストだと記載されてます。
「この錦絵の焼芋屋には、かまどの上に木蓋がみえるので、平なべにさつまいもを入れて焼く新しい方法のようです。 行燈(あんどん)の “〇やき”とか“八里半”と書いてあるのは、丸ごと焼いてます。栗(九里)みたいにおいしい意味」
(参照と参考 松下幸子千葉大学名誉教授)
今のお菓子 芋きんつば さつまいもあんをきんつば仕立てに
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『端唄 春雨 能舞台にて』 ” SPRING RAIN
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