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実乃鈴の浮世絵 蔦重&歌麿の花魁ファッション UTAMARO'S BEAUTIES & FASHION COORDINATE selected by MINOSUZU


蔦屋重三郎プロデュースの 歌麿が描いた [花魁ファッション]


 [花魁 おいらん]  吉原での高位の遊女

1st. が「太夫(たゆう)」「松の位」、

2nd.は「天神(てんじん)」と呼ばれました


吉原の大まがき(見世)ででトップを「張る」意地は、

彼女たちの [出掛け姿ファッション] にも表されます


  [ 傾城 kei-siei の本飾り ]

・とてつもなく豪華で高価な打掛&帯を前に大きく結び、

立兵庫ヘアに 高価なかんざし類・・・

・センターに べっ甲のBIG櫛を二つか三つ揃えに挿し(二枚櫛、三枚櫛と言う)

・前後左右に6本ずつ琴柱(ことじ 長い吉丁 )

前に立ち挿しの松葉かんざし2本&玉かんざしも2本

・中挿には べっ甲の太い笄(こうがい)


今回の動画では、その豪華さにフォーカス当てました

(注:浮世絵では実際と違って自由に描かれた部分もあり、別の動画で特集した [かんざし類] でも、傾城の本飾り通りに描かれてません)


「すごい」「素敵」ですね! と、同時に、

彼女たちの立場や心情にも思いを馳せてみますと、

歌麿もきっと、「そうそう!わかってやって!」

 と、喜ぶ気がします

後述に、彼女たちの身の上もちょい

知ると、蔦重や歌麿さんの、彼女たちを思い遣った気落ちが伝わりますね


In this video, we focused on its luxury

(Note: In ukiyo-e, there are parts that are drawn freely unlike in reality, and even in [Kanzashi], which was featured in another video, they are not depicted as the main decoration of the castle.) When I think about their position and feelings, I am sure that Utamaro, who looked at them with compassion, would be happy


「菅許の吉原」と言っても、特別待遇は無く、

税金のようなものが莫大に徴収されていました


女郎屋のオーナーらは強欲で、

「非人情がフツー」という見すぼらしい傲慢さ、

女に対する人権は無かったの

そんな環境に [売られてきた女たち] であることは、

・・・辛すぎますねぇ


太夫は「傾城(けいせい)」とも呼ばれました

「たとえ城を傾けても惜しくない程の美女」の意味


 歌舞伎の花魁

傾城は、歌舞伎では筆頭の女形が演じます

(玉三郎さんの傾城は凄みあり!)

この世のものとは思えない豪華さで、全身が隙なく包まれた姿・・・

今のわたくしたちが思い描く花魁は、女形の傾城の印象でしょうね


歌舞伎では、ただ「綺麗 だけ」の世界・・・

京阪の歌舞伎では、正月の重要な舞台には

「けいせい」を冠した演目が決まりでした

 (江戸では そのルールはなかったけれど おやま=トップ遊女役はステイタス)

Kabuki's O-I-RAN


TAFU WAS ALSO CALLED "KEI-SEI"

The meaning of "a woman so beautiful that even if the castle is tilted, it will not be spared"


In kabuki, the role of KEI-SEI is played by the lead onnagata (an actor who plays a woman)

(Tamasaburo's KEI-SEI is not only wonderful, but also amazing!) )

With a luxury that seems out of this world, the whole body is wrapped without gaps


The flower that we and foreigners imagine today is probably the impression of the female form KEI-SEI


In fact, it was a hell for women to suffer.

In Kabuki, it's just a world of "beautifulness"


At Kami-gata Kabuki in Kyoto and Osaka, it was decided that the important stage of the New Year would be performed with the name "Keisei"


(In Edo, there was no such rule, but Oyama = the role of a top courtesan is a status for actors)



 さて、[吉原ルール]

菅許の吉原には 高位の花魁がいました

太夫や天神たちを彼女を「揚げる」(遊ぶ)には、

吉原ルールをきっちりと踏まねばなりません



 「太夫、天神には、いきなり会えません」 信用を保証する紹介とお金


落語 「幾代餅」では、

歌麿の浮世絵を見ただけで恋煩いしてしまった真面目でウブな青年の良い話ですが、彼は、長年働いた給金+店の旦那のサポートを受けても、

下記の1つ目の手順を踏むのがやっとでした・・・


1、[要 紹介]


花代(料金)が高価ですから、払える男に限る(大店の主人やボンや大名関係)

  信用第一! 一見では不可能!

(「幾代餅」では 近所の「通人」に紹介役を頼み、「大店の若旦那の吉原デビュー」というテイで・・・)




2、身分に関わらず、3回の手順が必要


  [初回・裏を返す・馴染み]



  まず [ 初回 ] 引き手茶屋にて 「会うだけ」


引き手茶屋(取り次ぎ代行&宴会場)にて、

会いたい花魁を選ぶか指名して、引き手から呼んでもらいます


花魁は、その引き手茶屋へ出掛け姿(フル衣装)で向かいます


 それが  [花魁道中]


禿、振袖新造、男衆も引き連れた、例の派手なパレードです


外八文字では、ちっとも進みませんが、

居合わせた人たちにへ、タップリと見せつける目的もあったのでしょう


スローな行進は、

太夫の客に なれない一般の男たちが、

花魁を直に見られる貴重なチャンスだったでしょう



その [初回] は、「引き手茶屋で、会うだけ」 会話もなし・・・

(落語「幾代餅」では、花魁から話しかけ、次の予約を問われます。が、青年は素直に白状します「自分は若旦那ではなく手代、あと3年働かないと来れませんが一生懸命働いて、また来ます」嘘ばかりの世界で、初めて会った正直な男に実を見た花魁は、その実直青年と [ある約束] をして・・・実際に聞いてね!とても気分の良い落語です!)




 2回目 [裏を返す]


同じ花魁と、1回目と同じ手続き


おしゃべりや、お酒も飲んだ様です(時代劇はフィクションが多い)




 3回目 [馴染み]


先の2回と同じく、引き手茶屋で宴会をした後に、花魁の部屋へ・・・

(客としては「やっと」)


  以降は「馴染み重ねる」


当然、毎回の花代は すっごい金額だったそうです

今の100万円くらい

花魁クラスと馴染み客になれたのは、

武家でも余裕のある家や、大きな商家の主人等だったでしょう


彼らは家の定紋を持っています


馴染みになった客には、専用の箸箱が紋入りで用意されました

「三回目  箸一膳の客になり」


[Yoshiwara Rules]

Not being able to meet high-ranking women right away

It took three procedures

The first and second times we were just making love in an outside banquet hall (no conversation)

For the third time, the guests were ushered into their own room for the first time

Every time, it was expensive

It was possible to do so by high-ranking samurai and large merchants


In Yoshiwara, there was also a shop where you could play low-level games, and there was no need for expensive rules.

It is said that the men of the common people went there


In a horrible environment without human rights, you lose your mind, don't you?

But

There were very rare encounters with a man who thought that he could "communicate with his heart" ...

This was the cause of the tragedy due to a number of mental incidents.

They became the stories in the heart of Chikamatsu Monzaemon, and became the puppet Joruri (BUN-RAKU) and Kabuki



花魁は、そんなに稼いでるなら、まもなく自由の身になれそう!

 ですが・・・吉原は、女にキツい場所・・・


しょっちゅうイベントデー(紋日)を設け、

客のつかなかった遊女にはペナルティ(自腹!)


同じ衣装ばかり着れません  衣装代もかかります・・・


トップか二番手になればプレゼントも多かったようですが、

そこまでの経費が膨大!

さらに追加の借金、になってしまう・・・



このように、

女たちが、いくら頑張っても、耐えても、

自力で吉原から抜け出るのは、ほぼ不可能・・・


「遊女は売り物」

この心無い言われ方は、多分 袖にされた=相手にされない男と、

取られた?女の腹いせもあったようです




そんな キッツイ束縛システムを作った悪いヤツらが バイキンみたいに

ウヨウヨいたのかと思うと嫌悪感

(男だけや無い、やり手と呼ばれたおばちゃんらも悪かった! 同じ女なのに!)



人権のないヒドイ環境では 心をなくすでしょう?

無くさないとツラ過ぎましょう?


でも、

「心で通じ合えた」と思ってしまう男と、ごく稀に出逢う事も・・・



それが、悲劇の元になったのが、いくつもの心中事件でした


莫大な借金返済ができる男 とは限りません、


横柄で鼻持ちならん金だけの男には 恋しない


つまり、

この世では一緒になれへん現実のせいで 相対死へ


それらは、近松の [冥途の飛脚] のように、芝居化されました



(今のわたくしたちでは 想像もできませんけど、)

当人さん達には、苦界で生き地獄、よりも、ずっと幸せやったんかも

 ・・・せめて、そうであって欲しいねぇ



深刻でなくても、花魁が恋したって自然なこと


今みたいに「誰それと付き合ってる〜」など、あけすけに公表できません

秘めた仲です


そんな男を「間夫 ma-bu」と言いました


訳知り(花街の機微を理解する通人)なら、自慢できた立場


「オレは、アイツの間夫を気取ってたもんだ」(鬼平さんのセリフ)


ちなみに、

某局の長谷川平蔵の描かれ方は かなり無理が・・

まず、旗本の息子だからって、一晩のチップに1枚二万円の紙を大量にばらまけません 笑

無理、ありすぎ (平蔵は 庶民の本所深川でゴロ巻いてた




遊女は(前述したように)客がないと借金が増えてしまう!


地獄から抜けたい女たちは、なりふり構わず顧客を増やす必要がありました


「あなただけ と誰にでも言って次の予約を取る」

(きっと、誰でも同じ立場に追い込まれたら、同じやない?)


 

吉原は疑似恋愛の場

それを理解して通わなアキマセン



なので、あまりブーブー言う男は、「通じゃない」「ヤボ」とキッパリバカにされ



かといって・・・「通人なら良い」とも言えず・・



大阪新町は、

吉原をしのぐ大きく繁盛した色町だったそう

そこでの「恋」に嵌まり込んでしまった御堂筋の椀屋 久兵衛は、25歳(今の23歳)で 人生お終いに

(歌舞伎「椀久」が、その 稀代の放蕩息子ぶりを伝えています)



事実を知ると、ただ単に「キレイー」と騒ぐのは、違いましょう

 [ 当時、確かにいた女たち] は、キレイだけではなかった事実があって、

苦界なのに、必死で生きていた女たちだったのです


彼女たちの身の上を知ることで、

蔦重や歌麿さんの、彼女たちを思い遣った気落ちが伝わりますね



 吉原では、遊女と芸者は別職業

 「吉原芸者は売春禁止!!」

芸だけで生きられた分、芸は上手くなくてはなりません(踊り・演奏・話術がプライド)

芸者は、引き手茶屋でのパーティが主な活躍場所でした

ちなみに、

下層の遊女屋の女たちは、

吉原以外で売春して逮捕された私娼たちでした


懲役的に強制労働、だったのです

待遇はいっそうヒドかった

ほとんどの女は、

そうせざるを得なかった事情があるから、でしょうに・・・


男社会の落とし穴は、

[女性の立場と気持ちを分かろうとしないことが 問題] やねぇ

「相手の立場になって考える人になりなさい」

おうちで、そう躾されたんちゃうの・・・??


言うときますけど、

「そんな社会だったから」は言い訳にならしません!


蔦重はんは、吉原育ちでしたが、

女性の立場を思いやりました

「そんな社会」の真っ只中に生きた歌麿も北斎も、遊女の絵には 優しい眼差しを感じますねぇ

  人の仕事には [人となり] がアリアリと見えますもの!

決して、遊女を下には見ない眼差しが 絵に表れていますね


長く愛される理由は、ただ綺麗だけではない

教わるもの得るものがある


浮世絵だけでなく、日本の物だけでもなく、

見ぬ人(時代的に会えなかった人々)の

文化も技術から、教えてもらえることはあるんです

だから、芸術・美術・芸能は 好き!



The pitfall of a male society is that it does not try to understand women's positions and feelings. 


"Put yourself in the other person's shoes."

Has the number of people who are not so disciplined increased at home?


"Because it was such a society" is not an excuse!


Mr. TSUTA-JYU (publisher) grew up in Yoshiwara, but he cared about the position of women

Both Utamaro and Hokusai, who lived in the midst of "such a society," feel their kind gaze in the paintings of courtesans


You can see [personality] in people's work!


Their gaze, which never looks down on courtesans, is reflected in the picture

The reason why she was loved for so long was not only because she was beautiful, but also because she had a will and a heart


There is something to be learned and gained from those who have come before us.

Not only ukiyo-e, but also Japan objects,

Of strangers (people I couldn't meet in the past)


There are things that can be taught from culture and technology

So, love art, fine arts, and performing arts!








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