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江戸時代の歌舞伎と芝居の浮世絵 theaters in EDO

江戸時代の歌舞伎と芝居の浮世絵

まずは実乃鈴プレゼンツ【浮世絵動画 芝居編】からどうぞ!


北斎(春郎時代)1779~1794頃「東都歌舞伎大芝居の図」

見事な大入り!気持ちイイ!見るだけで縁起が良い!


北斎 (勝川春朗時代)

『ふく清 女房 中村里好』東京国立博物館

北斎さんも役者絵を描いて居ました。

女型の粋な感じが伝わりますね。


前帯なので花魁・遊女の役です。


Mr. Hokusai was also drawing an actor picture.

The stylish feeling of the woman type is transmitted.

This is the role of the oiran and the eka because the obi is tied ahead.





『一陽春侍 黄金祝儀台』(いちようのあけぼの こがねのしまだい)1863 (文久3年)頃

江戸三座(中村座・市村座・森田座)に出演している当時の人気役者たちの名前が上がっていますね。

京都南座の毎年恒例の11月顔見世興行の際の番付を真似て制作された

京都南座の顔見世興行のまねき上げ

五花街の芸舞妓たちが日替わりでお勉強に行く総見も伝統で、毎年ニュースになります。芸舞妓がお座敷衣装とお化粧で花道に沿ってズラリと並び鑑賞する総見。

それぞれがご贔屓の役者に高級な差入れ(料亭や割烹の特製お弁当)をし、代わりに簪(かんざし)のミニチュアまねきに 役者自身から名を書き入れてもらいます。

贅沢な事ですが、粋筋の持ちつ持たれつ。伝統の風習です。

 *11月1日は歌舞伎興行の正月(本来は陰暦)

江戸三座では、毎年11月に一座の役者の入替がされました。

新しいキャスティングを披露するのが顔見世。

歌舞伎役者の1年はこの日から始まったので「歌舞伎の正月」と言われていました。

顔見世の前には様々な儀式がされ、上演される作品にも約束事が多くあります。ファンたちもこの行事には力が入ったようで、初日前夜は徹夜組もあったそう。

しかし、幕末になると、俳優の契約期間があいまいになり、顔見世はあまり行われなくなったとか . . .。

 京都南座は恒例行事で今も残っていますね

↑ 顔見世番付 または 極番付(きまりばんづけ)

 顔見世興行の際に作られた番付

劇場正面の絵看板を大判1枚刷で表した辻番付と、形状は同じ。上段には定紋(じょうもん family crest)を打った櫓幕(やぐらまく)を描き、その周囲に座元、役者、作者などの名を。下段には座頭(ざがしら)を中心に全役者を 各人の地位ごとに決まった位置に配されています。作者と座元は相当〜悩んで、役者たちのポジションを決めたそうです。 (東京都立図書館 参照)

初春の歌舞伎の演目は『曽我物』『粟餅』『角兵衛』『駕屋』『式三番叟』『四季三番叟』など(『鏡獅子』は明治の作品)

歌川国芳 『伊達競高評鞘当』だてくらべうわさのさやあて 嘉永4年1月 江戸・河原崎座

国芳は1797〜1861を生きた江戸ッ子絵師。

国芳お得意の柄物衣装が派手の競い合いをヒートアップさせています。シモテの役者、きっと男前。

自画像を見ますと、国芳本人も男前だったようです。

さやあて、大人の皆さんはご存知でしょう。

元は 本当に刀の鞘が(すれ違うときなどで)バッティングしてしまい、エライ喧嘩になったことから、恋のライバルと火花を散らすのも、鞘当てと言われるようになったようです。

遊里を舞台に,一人の女を争う二人の武士が 刀の鞘を当てたことから争いになる参会名護屋(さんかいなごや)」以来、歌舞伎十八番 不破の趣向に。

*名古屋山三の見得 二代 嵐橘三郎 The MI-E pose of Sanza NAGOYA

長キセルや裏地も伊達さバリバリ。きりりと太い眉、グッと結んだ口、どっしりした居ずまい。

パワーあふれる男前。

日本舞踊の男舞の要素には、人間の大きさ・どっしりさが求められます。

歌舞伎の見得は独特な歌舞伎のキメポーズ。地方さんたちの演奏と一致団結して息を合わせます。

見得 MI-Eは 観客をグッと惹きつけるズームアップのような効果があります。先人の知恵!

昔も今も、舞台は舞台。フィルムと違って寄ったり引いたりできませんが、「そう見える」のは、ヒトの持つ優れた能力ですね。演者も観客も、ほぼ同じ印象を感じられる、それはすごい能力!

見得 MIE ; pose . It creates a dramatic effect .In KABUKI , various storytelling techniques have been developed to engage the audience's interest .

ところで、この名古屋山三さん

「歌舞伎の創始者」とされる伝説的人物!蒲生氏郷(がもううじさと(1556~1595)安土桃山時代の武将。織田信長豊臣秀吉に仕え,小田原奥州出兵に活躍。会津九一万石余を領し、キリスト教に入信) . . . の小姓でしたが,後に浪人に。美男のかぶき者として名高かった名越山三郎に擬されたそうです。

1680年市村座で初代市川団十郎が「遊女論」の中で初演。不破伴左衛門と名古屋山三(さんざ)との遊女葛城をめぐる恋争いが主題。名古屋山三(五代 沢村長十郎)不破伴左衛門(五代 市川海老蔵) 傾城かつらぎ(四代 尾上梅幸)

香蝶楼国貞(三代目歌川豊国)不破伴左衛門・名古屋山三・花魁 かつらぎ 国立国会図書館所蔵

こちらは座敷内での3人の見得が決まった瞬間!

後年、三代豊国となった国貞は初代豊国のお弟子でした。1786~1864を生きた絵師。

彼特有の、姿勢の悪い美人画は幕末の退廃気分デカダンス、らしいです。

 ・・・のけぞる事実

『五右衛門時代には 南禅寺山門は まだ 無かった〜!!』 石川五右衛門(国会図書館)

安土桃山時代(1568~’98)の伝説的な盗賊。1594年,子と共に釜茹での刑に処せられたと伝。浄瑠璃「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」 歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」など多くの作品の題材とされてます。

「南禅寺の門からの眺めは確かに 絶景かな、値千金!

ですが . . .

「実際の五右衛門時代には、まだ例の門は存在してません」

 そう言うと、ほぼ全員がのけぞります。


歌舞伎の演出が見事に当たった成功例ですね。

それにしても、かっちょいい化粧法!発明した先人は本当にアーティストですね!

Even so, cool makeup method! The forerman who invented it is really an artist!


広重『東都三十六景 猿わか町』

二階座敷。帯をデッカイ蝶に結んだ女性。猿若町の通りを眺めています。

スッキリとシンプルなヘアスタイルはファッション上級者、奥向きっぽいですね。

お連れの女性も品の良い笑顔とファッションセンスですし、座敷の湯呑みにも、窓の上に飾られた額の桜?にも品を感じます。

天保の改革は「歌舞伎はファンの節操をダラクさせる風俗」として芝居規制をしましたが、このお二人や キレイなお部屋の中の感じでは、乱れてるように思えませんねぇ。(しかし、出雲の阿国もかなりキワどかった伝もあり、芝居ブームいおいて堕落としか言えない男色やグルーピー等々の売春行為があったのも不都合な事実)

歌川広重『江戸名所 猿若街三座』1858 安政5年3月

右の女性は巨大蝶結びで、後ろ向きの女性は つのだし。ここもスッキリした二階座敷です。

向かいの芝居小屋の前には役者の幟がズラリ。中村福助の幟はすぐ前に(当代 福助さんのお顔が浮かびます)

屋根の上から 小さな屋根付きの看板が吊ってありますね

 国貞「中村座三階の図」

大にぎわいの楽屋!芝居小屋は大繁盛!国貞は、惚れ惚れするような男前は 登場させてませんが、魅力的な絵です。あごが特徴的な男たちが5人ほど見えます。

猿若町:今の浅草六丁目に当たる東京都台東区の旧町名。天保改革のとき(1841〜’43)風俗取り締まりのため江戸三座(のち猿若三座とも)を浅草聖天町に移して猿若町と命名。一丁目(中村座)、二丁目(市村座)、三丁目(森田座)と称し,明治初年まで栄えた。

江戸では寄席や小屋が千軒もあった中、公認の芝居小屋だった江戸三座(猿若三座)は筆頭でした。

中村座

1624年,中村(猿若)勘三郎が江戸中橋南地に開場した江戸最初の歌舞伎劇場。江戸三座の一。猿若座だったが,51年 堺町へ移転し中村座と改称。1893年(明治26)廃座。平成中村座はその懐古復古。大当りでよろしゅうございました。NYバージョンは現地でも大ウケ!大成功!

『市村座大入あたり振舞楽屋の図』1811 (文化8年) 11月顔見世

真ん中でお酒を注ぐ、注がれる役者がいますね。大きな膳には、お造り(関東は刺身)やお料理がいろいろ。

ここは市村座楽屋の三階。3枚続きパノラミックに描かれています。

あたり振舞~!!(芝居が当って利益が多かった時に、興行元が役者や関係者を招待しする慰労の宴会) 良い舞台の手応えを得た時のお酒は格別に美味しいです!

 [ おおばんぶるまい の実は]

振る舞いは[奢る]意味で、今でもよく言われる おおばんぶるまい。

文字は [大盤振る舞い] となってますが、元々は 椀飯振舞 (わうばんぶるまひ。発音はオオバン)でしたー。

 椀飯振舞 =お椀にもってあるご飯

→鎌倉室町時代の正月三ヶ日、または7日か15日に将軍を招いてご馳走したこと

→江戸時代のせち振舞い(お正月の御節振舞いなど)親戚・知人を招いてご馳走する意味でした。(大盤は 後世の当て字かも)   

左下の男たち 吸物椀を3×5=15個も乗せたお盆を運んでいます。

女形と話す御仁は四世?沢村宗十郎かしら?なかなかの面構え

センターで お酒を注いでいる烏帽子が坂東大吉

盃で受けているのはメイクしたままの市川団十郎?

(役者の名前がちょっと読みにくいのが惜しい。ハッキリわかったら楽しいでしょうね!)

衣裳のままで、お料理を運んでる役者は、きっとイイ人でしょう。

中村で言えば、当代 又五郎さんのような。

市川姓が何人もいますね。

市川の筋は . . . 実は、うちと浅から~ぬ縁があります

「チョイと ご先祖の貸しを返してもらいた~い!」と令和に叫ぶ。





ついさっき舞台がはねたところでしょう

衣裳のまま談笑する人、顔や首のメイク落としをしている人、とりあえず着替えた人

 さぁ!オイシイお酒タイムが始まります!

注)

江戸時代 [ 三階建ては幕府から許可されなかった ] なのに、芝居小屋の楽屋は三階まであった . . . 。外からの見た目として??二階を中二階、三階を本二階と呼ぶ . . . (色の名称と同じ手口で)幕府の目をかいくぐったのですね。オモシロイです

役者の楽屋は階級別

一階の楽屋口近く(稲荷町とよばれる稲荷大明神をまつる場所)には下級の立役(たちやく・男役)

二階は女形(おんながた)

三階は中級の立役の大部屋と上級の立役の部室と座頭の部屋

大部屋は稽古や集会にも使われました。

  (参考 松下幸子 千葉大学名誉教授)

市村座

1634年,江戸葺屋町に村山座として創設された歌舞伎劇場。

中村座・森田座とで江戸三座の一。67年頃改称して市村座。

1841年浅草猿若町に移転。明治中期以降下谷二長町にあり,六世尾上菊五郎・初世 中村吉右衛門(現 人間国宝 中村吉右衛門の祖父)ら若手が出演して,市村座時代を現出。

三代歌川豊国『踊形容楽屋の図』安政6年(1859)

芝居小屋の楽屋です。

カミテの立位の男前は二枚目。朝比奈役らしき座位の役者と会話中。

シモテで刀を持ってる男も役者向きの顔ですね。

「踊形容」とは「踊りのようなもの」

歌舞伎や芝居と同義語でしたが「ナゼ 歌舞伎と言わず、踊形容と言い換えたの?」

理由は、天保(1830-44)の改革での 歌舞伎狂言弾圧の対処らしいです。

しかし「この言葉が、使われたのは、改革後の安政年間(1854-60)の初め頃から」あらら??(参考;国立劇場の石橋先生 )

ならば、政府への目くらましではないようです。

では、ホンモノから一歩引いた?遠慮した言い回し??(モノマネタレントみたいな??)かしら?

絵中の7人

右端が河原崎権十郎(のちの九代目市川團十郎)

右側の朝比奈は中村福助(のちの四代目中村芝翫)

立位女形は 三代目岩井粂三郎(のちの八代目岩井半四郎)

馬方の扮装は中村鶴蔵(のちの三代目中村仲蔵)

立位男性は 三代目市川市蔵。

曽我十郎の扮装の二代目澤村訥升(のちの四代目助高屋高助)後ろはお弟子?

刺身の皿の向こうにある注ぎ口と蓋のある円筒形の器は、酒の燗(かん)をするチロリ。踊りの楽屋では決してしませんが、芝居の楽屋では、このように酒宴をします。

舞踊の楽屋では、お客様がいらしても、お茶を出すいくらいですね。匂いがついたり、衣装が汚れるからでしょうか?

人のふり見て我がふり直せ 「楽屋の使い方と芸は比例してます」

楽屋では禁煙が暗黙のルールですが、元T歌劇団だった女性たちは、歌の方と同室なのに、遠慮が無かったそうですよ!喫煙場へ行かなくては失礼ですね。不健康な迷惑を楽屋で撒き散らしてはいけませんね。

喉にも悪いし、同室になった出演者の身体ストレスは大きいです。

衣装も臭かったと . . . それは許せないなぁ。

汚れた衣装で舞台を勤めて平気なのかしら?????

経験上、言えますことは「楽屋の使い方と芸は比例してます」

楽屋が雑なら、踊りもそう。

周りへの迷惑を顧みないなら その人の芸?は自己満足。

気が利かないなら幼稚な芸。

どれも気がつけば改めるでしょうと思いたい。

それにしても . . . 世間の印象と実態には差があるものですねぇ。

歌舞伎

国貞が描いた 大きな舞台の裏、楽屋の忙しい様子です。五右衛門役と思われる役者たち3人がセリフの打ち合わせをしていますね。

歌舞伎

楽屋には暖簾がかけられます。部屋中を程よく隠しながらも出入りしやすく、人の気配を感じやすいのです。ご贔屓が付いた役者には、役者名を染め抜いた楽屋暖簾がプレゼントされます。

カミテ(右)は女形の役者。洗い桶を持ってる人は洗顔へ向うのか、小道具か?階段が急でしょう?昔の建物の階段は本当に狭くて急でした。

ちょっとくつろぐムードですね。後ろでは化粧しているようです。

化粧前で舞台化粧をしている人がいますね.

壁に小道具の刀が吊るされていますね。女形は化粧前の鏡でチェックしてます。当時は化粧前に水桶を置いていたようですね。今は洗面台も蛇口も設置されていますから便利になったものです。シモテの男はセリフの確認でしょうか。


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