江戸の男前たち 火消し
男前の浮世絵
纏持ち 男前が担当した町火消しの花形
MATOI-MOCHI MAN & MACHI BUKESHI (or MACHI-HIKESHI) fireman of EDO city
USAでは消防士はヒーロー。厳しい訓練を日課とし、危険な場所での作業をお仕事にしてくれてるのは有難いとしか言えませんね。
江戸時代でも消防士たちはヒーローだったようです。
花形は [纏持ち ]
時代劇・暴れん坊将軍のめ組も町火消しですね。北島三郎さんが頭の辰五郎さん役でしたね。
す組の纏持ちの浮世絵(錦絵)
各組は、それぞれ男前に纏持ちをさせたそうです。
火災現場への一番乗りを競った町火消したちは恐れを知らぬ勇肌を競いました。chivalrous(-spirited) man / a gallant(-spirited) man.
目立つところに男前を配置することも1つの競い合いだったのですね。
火事装束が黒いので、ちょっと分かりにくいですが二人の火消しが屋根の上に居ますね。
(お人形、本当に上手に作られています。日本人は絵も人形制作も上手)
「江戸っ子肌」(1961マキノ監督映画)
纏持ちが、屋根の上で纏を振り回すシーンは映画やドラマでよく見ますね。
町火消したちの出動です。勢いがすごいですね!
纏持ちと町火消したちが火災現場へ走っています。
火消し1組には20名前後がいたようです。
江戸時代の人口密度は今より多かったとも言われます。
(同じ時代のロンドンの人口は86万人、パリでは54何人でした)
人が密集して暮らすのは今も同じですが、江戸時代の建物はどれもが木と草と紙と土から作られていました。
素晴らしい知恵の方向である日本建築。
世界の建築関係者たちはそれを学びに来日しています。
日本人建築関係者たちは依頼を受けて、伝統の知恵の技術を駆使します。彼らは世界各地の町や村の修復をし、その市の文化財を損なわずにリフォームして、現地の人々から驚きと称賛を得ています。
建築材料の特性から、燃えやすいのは否めません。
ですので、昔から寺社や城には、必ず水に関するモチーフが建物に取り付けられました。シャチホコ・けぎょ懸魚も、石で作られた亀も魚もどれもが火除けのおまじないです。
実際の江戸の年間火災件数は700件以上だったとか!
幕府は、江戸中期から町人の自治的な消防組織を作らせました。
鳶職は屋根の上での作業に慣れていて、家を建てます。
ですから、家の壊し方も知っていました。
つまり、鳶職の男たちが消防団(町火消し)になっていました。
江戸では いろは四十七組(のち四十八組)が結成されて,主に町家の消防にあたりました。(町奉行の管理に属した)
町火消し 隅田川西側いろは48組 本所・深川16組
江戸時代の火消したちは消火をせずに隣家を破壊しました。延焼を防ぐためだったそうですが . . .
木と土で作られた家を、彼らは木などの自然素材で作られた道具で守っていた。
柱へは5mもの長さの刺股が使われたそうです。
当時の5m長さの刺股は保存されています。
火事装束の は組の町火消しが 男性を救助したところです。
火消しが手に持つのは鳶口。
それ以前からあったのは定火消し(若年寄の配下。与力同心臥烟を置き,江戸市中の防火および非常警備にあたった。)
大名火消しは 明暦の大火以後に整備され、大名に対する課役として出火の際江戸の藩邸から出動することを義務づけられた火消しでした。
元は架橋を禁じていた幕府でしたが、明暦の大火後は避難路として架橋が多くされました。
1659年 両国橋が架橋。昔は隅田川が武蔵下総(しもうさ)二国の境をなしていたそうです。