後見さんと黒子 KOH-KEN & KURO-KO
『後見』さんは、振付と芝居を熟知されてます
KO-KEN & KURO-KO
Role to see it, and to be given to the stage as few existence
As for them, choreography and a play are known well .
#後見さんと#黒子の働きとは?
曽我兄弟の舞台からご紹介しましょう
寿曽我対面(KOTOBUKI SIGA NO TAIMEN『壽曾我對面』)
初演:延宝4年正月(1676年2月)江戸中村座。
まずはあらすじ:この二人の兄弟が幼い頃に彼らの父親が
工藤祐経 Suketsune KUDOH によって暗殺されました。
この兄弟は後年、親の敵討ちを果たしましたが、捕らえられ殺されてしまう物語です。
” Soga brothers "
When two people were young, father was assassinated by Suketsune Kudo Suketsune KUDOH.
These brothers achieve the revenge of the parent later, but two people are arrested and are killed.
兄 十郎は冷静な性格。
彼は穏やかに見えますが、
その揺るぎない闘志を
心で燃やすタイプ。
Older brother Juro has a calm character. A type that he is calm, but burns with the firm fighting spirit for for a heart.
弟の五郎は血気盛ん。
その性格が赤の隈取化粧と彼の勢いがある動きで表現されます。
Goro of the younger brother is vigorous
The character is expressed by movement with red gradation makeup " KUMA-DORI "and his force.
歌舞伎や日本舞踊の舞台には
所作台SHO-SA-DAI が敷かれます。
その板は足を踏み鳴らす時に踏んだ音を響かせます。
「踏む音とそのタイミング」
これらも日本舞踊には欠かせません。
しかし、所作台の無い舞台では
演者は力強く踏んでもその音は出ませんので、わたくしも残念に思いつつ、踏む仕草だけやります。
SHO-SA-DAI (platform)is spread on the stage of Kabuki and the Japanese dance.
The board lets the sound that I went through when I stamp a foot sound.
"A tread and the timing"
Japanese dance cannot miss these, too.
However, the sound does not appear even if the actor steps with the stage without the conduct stand powerfully.
邦楽は西洋音楽とは同じではありません。
(まして一定のテンポが延々と続く打ち込み音楽とは全く別物)
微妙に揺らぐ音階もタイミングも、日本の四季に生きてきた日本人の感性です。
邦楽では、全員が自分以外の全員と息を合わせる必要があります。
The traditional Japanese music is not same as the European music. Besides the implantation music that a constant tempo meanders is another thing really.
It is necessary for all the members to match breath with all the members except oneself as for the traditional Japanese music.
It is the sensitivity of the Japanese who lived in both the scale to delicately shake and the timing in the four seasons in Japan.
演奏はBGMではありません。
「踏む」そのタイミングは一般の人々が想像するより
もっと重要なスキルです。演者も楽器演奏の一部分となります。
There is not the performance in BGM.
It is the skill that is important much more than "I step", and general people imagine it in the timing.
Because the actor becomes the part of the musical instrument performance, too.
さて、
黒子 KURO-KO
KURO-KOは忍者とは全く別の存在。外国人たちは思い違いをしてるようです。歌舞伎座で、黒子が現れた瞬間に外国人が「ニンジャ!ニンジャ!」と大喜びしたとか . . .
KURO-KOは物語には登場しない存在です。
従って、観客たちも、彼らを見えないものと理解しています。
観客たちはKURO-KOには、さほど気を取られずに物語の進行を見守ることができます。
KURO-KOの役割は「見える裏方」
彼らの仕事は素早くて、
必要な準備と撤収をあっと言う間にこなします。
KURO-KO is totally different existence with the Ninja. Foreigners mistake it.
KURO-KO is up Castle existence not to do in a story.
Therefore, audiences understand them that invisible.
Audiences watch the progress of the story not to be preoccupied with it so much in KURO-KO.
The role of KURO-KO is something like stagehand.
Their work is quick!
They handle necessary preparations and withdrawal in no time.
そして、
後見 KOH-KEN
後見さんも又、舞台進行には欠かせません。
彼らは芝居や舞踊の流れを
熟知されてます。
曲も歌詞も、振付も。
演技や踊りの場面ごとに
役者やダンサーが持つ小道具を渡す、又はその場面だけに使った小道具を受け取ってはけます。(ハケる:舞台袖へ入ること)
The tutelage
The role that KOH-KEN is indispensable to stage progress again.
They know a flow of a play and the dancing well. As for the music and the lyrics as for the choreography.
I receive the small tools which they hand the small tools which an actor and a dancer have every scene of a performance and the dance or used only for the scene and drain.
(draining, and entering the stage sleeve)
又、後見さんは、舞台上で演者の衣装を脱がせること(かた肌脱ぎ・引き抜きなど)も手伝いますし
演者に履き物を履かせたりもします。
In addition, they help can unclothe the clothes of the actor on the stage, and an actor wear footwear.
舞踊会でも
後見さんは「実に熟知したかた」が担当されます。
踊り手同士で受け持つことは珍しくないですね。
もし、後見さんが舞台へ出るタイミングが早ければ間が悪く、遅ければ意味がない。
待つ「姿」も凛とされてることが大切ですね。
皆様も
歌舞伎や日本舞踊の「古典」伝
統芸の舞台を鑑賞される時は
演者の爪の先までも、
しっかり味わいつつ . . .
時には、
後見さんのスマートさと
黒子さんのムダの無い素早さも,
(彼らは見えないものとされてはいますが)目の端で追ってみてくださいね。
後見さんが刀を渡します。
演者(中村又五郎さん)は
刀を手にして前へ出て、
ラストの決めへ。
* * *
ちょっと +α
道化方または道外方(DOH-KE-KATA)
欧米のピエロ(クラウン)との違い
画蔵は、大男の朝比奈が歌詞に合わせて
「女性のマネをしている」パート(踊り)です
歌舞伎での三枚目役。
歌舞伎の道化方は、最も古い時期に成立した役柄の一つだそうです!
One of the duties established at the time when a harlequin of Kabuki was the oldest
西欧のクラウン同様にモノマネや可笑しな口上や女性の振などで観客たちを笑わせます。
(でもクラウンに配役名はありません)
元禄の歌舞伎では、
演目の特に重要な一場面を担当することも多かった道化。
ただ観客を笑わせるだけではなく、司会役としても活躍してきました。
In Genroku era Kabuki, DOH-KE is often in charge of in the constitution of the program particularly one important scene. Not only I only made the audience laugh by a funny performance, but also it served as a role as the part of chairmanship.
しかし、その後の歌舞伎は
かな手本忠臣蔵のように「物語」が主軸となって行きます。
道化方の役割はしだいになくなったそうです。(天明歌舞伎のころまでには衰退)
However,
as for later Kabuki, " Story" becomes Maine, like " kana copybook Chushingura ".
The role of the doh-ke harlequin seemed to gradually disappear. (it is just and declines in the days of Tenmei era Kabuki)
「三枚目って?」
当時の芝居小屋に掛けられた看板の
一枚目には一座の看板役者名を、
二枚目には人気の若衆方を、三枚目にこの道化方の名前を書いて掲げられていました。
これが、今の「二枚目」「三枚目」となった説は有力です
「寿曽我対面」登場人物
曽我十郎 父の敵工藤を討つ若侍。温厚で沈着冷静
曽我五郎 十郎の弟。血気盛ん。
小林朝比奈 道化方 兄弟を工藤に引き合わせる侍
工藤祐経 頼朝の家臣・曽我兄弟の父の敵
「春駒」歌詞
オキ
それ吉例に 祝う(いおう)寿たけらけく 世世に伝える播磨屋を
曽我に写して舞い初(そ)むる
めでた めでたや 春の始めの春駒なんぞは 夢に見てさえ良いとや申す
おお それそれ、良い振袖の 降るは時雨か 村雨月毛 しとしとしとしと
召たる駒の手綱の色は 赤澤山
女のよれる黒髪に 惹かれて止まる心なら やらじと引けば時到 TOKI-NARI は
日頃の本望 父の仇 妨げなすなと 突き飛ばし
廓のじゃれとは違うぞよ 離せ . . . 留めた . . .
止めて良いのは朝の雪 雨の降るのにいのうとは
そりゃ 野暮じゃぞえ
待たしゃんせ
そちら向いていしゃんしても 顔見にゃならぬ 末を頼みの通う神
寿祝う 花の袖 匂い(香い)こぼれて咲く梅の
枝移りして鶯の囀る声の 調子を揃えて
七草 薺 七草 薺
これ人日の白馬の節会
めざましかりける
It is a story of the revenge of the parent.
画像は『春駒』
又五郎さん。芸を拝見しますと
誠実なお人柄であろうと思われます。
鬼平での腹心の部下。小林役もぴったりでした。
先代さんも、本当に好きでした。
立派に、継承が続いていきますね