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竹内栖鳳 日本画家

日本舞踊 artist 実乃鈴の のんびり読むブログマガジン

MINOSUZU's blog " Knowledge of various about JPN" magazine that read leisurely This time “ about S.TAKEUCHI Japanese painting"



なんだか惹かれる日本画家 竹内栖鳳


『日本画は省筆〔しょうひつ〕を尚〔たっと〕ぶが、充分に写生をして置かずに描くと、どうしても筆数が多くなる。写生さへ充分にしてあれば、(中略)不要な無駄を棄てることができる

京都画壇の重鎮・竹内栖鳳(1864~1942)の言葉です。


省筆あるいは減筆とは、対象を(リアルでなく)印象にフォーカスを絞って簡略化する日本画の技法。

栖鳳さんいわく「省筆を描くにせよ、スケッチは日頃から しっかり重ねなあきまへん」 踊りの基礎とおんなじですね。




竹内栖鳳 雀とカエルのスケッチ












竹内栖鳳 1864~1942

栖鳳画風の基礎は四条派。さらに意欲的に狩野派・西洋の写実画法なども取り入れて、画風を革新させる研究もし、日本画の新たなシーンへ向かいました。

画塾「竹杖会」を主宰。お弟子もそうそうたる面子揃いです。

 上村松園・西山翠嶂・西村五雲・土田麦僊、小野竹喬、池田遙邨、橋本関雪・・・


当初は 1枚に各派の技法で描いた作品に対し、守旧派から「鵺派( ぬえ架空のバケモノ)みたいだ」と揶揄されたり。これは印象派の初めとソックリ。

『ぬえでけっこう』若い栖鳳さんの気骨が伺える言い返しです。

小柄な体から とは思えないゆったり感がありますね。確実な技量なんですねー


竹内栖鳳 宇治川激流 夜の景図  難波髙島屋史料館


 1904年 セントルイス万国博覧会出品 ビロード友禅壁掛下絵

(サイズ304×366



1889(明治22)当時、栖鳳は髙島屋 意匠部の海外向け製品のデザインチームにいました。

「遠方を薄墨で、近くを濃墨で描く遠近表現」




カエルさんへのまなざし



『緑池』1927年


一匹の蛙が池から顔を出しています。

初夏ののんびりムード。






竹内栖鳳

『蓮に蛙』













雀、よぉ見てはる・・・

竹内栖鳳『喜雀』

栖鳳さんの雀は どれも動き出しそう。

本当によ〜く観察していたそうです。

町や通りで見かける子雀の初々しさ、オトナ雀のいかめしい顔など、今の雀もその通りなのが面白い。


ところで、雀の色は時刻の呼び名にも

[ 雀色時 すずめいろどき] 黄昏時のこと。夕焼けも消えた頃が雀の色に思ったようです

 同じ名の 色は門限 すずめ宿  実乃鈴

『竹雀』




竹雀』

・・・30分以上、ギャラリーで眺めましたた。

まだ飛ぶのが上手くないチビすずめ。実物の絵は「もっと動いて見えました」

かーなりのお値段なので手に入りませんでした。でも、しっかり覚えております。

今までも、手に入らなかったものの方が記憶がシッカリ。


写真に撮らなかった景色の方が覚えていませんか?

手に入ると、安心して覚えなくなるのでしょう。「写真を見返しても、その時の事を覚えてないの!」そう聞いたとき、あぁそうかと思いました。

写真に撮った時点で「脳または心は 覚えなくてもOK状態」に入ってしまうのかも?? 


心で見ることは、高度な生物である人間ならこそ、ですね。




栖鳳さんヨーロッパでライオンを知る

初渡欧は、横山大観がリーダーとなったイタリアでの日本展。

(この時の大観さんは素晴らしい大活躍で、美術の王国イタリアへ日本の美術と職人さんの技術力の高さを知らしめました。京都&東京の画家と職人たちで力を出し合ってての大成功でした。ムッソリーニも嬉々として展覧会に訪れてます)


栖鳳さんはベルギーの動物園で、おそらく日本人で初めて獅子=ライオンを見ました。

(それまでは神社や絵画で見る あのクリクリ毛の唐獅子、想像上の物体でしたね)

庭の雀や、猫やあらゆる生き物を写生し続ける栖鳳さんは、モチロン気分アゲアゲ!このライオン君を嬉々として写生したそう。


LION BELGIQUE


竹内栖鳳 スケッチ



竹内栖鳳「スエズ景色」Japanese painting



帰国後、1902「鳳凰と獅子」より 「大獅子図」



コレを観た当時の民衆はビックリしたでしょうね!

「ホンモノの獅子はこういう姿なのか!」大反響だったそう。

陰影とヒゲ!








竹内栖鳳 「河畔群鷺」 明治37年頃(c.1904) 公益財団法人ひろしま美術館



この白鷺は個性的な誰かみたいですね



栖鳳さんは京都御池通油小路の川魚料理屋「亀政」の長男。

1877年(明治10年)に四条派の土田英林に絵を習い始め、

1881年(明治14年)の17歳の時に幸野楳嶺の私塾へ正式に入門。頭角を現した栖鳳さんは、翌年には私塾の工芸長。「楳嶺四天王」(栖鳳と都路華香、谷口香嶠、菊池芳文の高弟4名を指す)の筆頭と呼ばれるようになる。

1887年(明治20年)23歳の時に結婚を機に絵師として独立。京都府画学校(現:京都市立芸術大学)修了。

1889年(明治22年)京都府画学校に出仕。京都の若手画家の先鋭として名をあげてゆく。

1900年(明治33年)36歳 7ヶ月かけてヨーロッパを旅行。ターナー、コローなどから強い影響を受けた。

1913年(大正2年)12月18日「帝室技芸員」に推挙され、名実共に京都画壇の筆頭としての地位を確立した。


竹内栖鳳『班猫』重要文化財 1924(大正13)

竹内栖鳳の代表作。 

沼津の八百屋さんの飼い猫が、宋の徽宗(きそう)皇帝の描いた猫と同じ柄だと気に入って、貰い受けて京都に連れて帰りました。、

徽宗皇帝の猫の絵は、目を見開いて前足を舐めている姿ですが、

このこは背中を毛繕いしながら、こちらをチラと見た瞬間。

柔らかい毛並みは細かい筆遣いで。

明るい時間帯の瞳孔の細くなった緑色の目が印象的です。

「班猫」は普通「斑猫」ですが、竹内栖鳳の箱書きには「班猫」となっているそう。




絵を描く竹内栖鳳



竹内栖鳳「雨霽」(左隻 1928年 足立美術館蔵)


六曲一双。それぞれ縦171cm、横 366cm。

左隻は雨上がり。風に吹かれる樹の幹をつかむトビの姿。

右隻にはセキレイが飛びたつ姿。

「雨霽(うせい)」のトンビくんと今し方の雨後の風にざわめく木の葉。

鳶の頭の毛は、雨に濡れて束になってますね。





竹内栖鳳 闘鶏






竹内栖鳳 天女の下書

天井画の下絵。空を飛ぶ天女を描くために、寝転ばせた女性のスケッチを天女に吊った鏡に写して描くなど工夫を重ねましたが、肝心の現場の天井のヤニ・シミの為に描く事は実現しませんでした。




『散華』(部分) 1910(明治43)年 絹本・彩色 京都市美術館


散華 寺院で法要を巌修する時に、諸仏を供養するために撒かれる花。

元来は、蓮の生花が使われましたが、いつしか蓮の形の色紙が代用されるようになりました。

大きな法要の際には、何千枚もの紙花が御堂の屋根から撒かれます。


竹内栖鳳『富獄』



栖鳳作品は 京都のギャラリーで買うことが出来ます。掛け軸が多い印象です。

例 竹内栖鳳『虎』扇面画(個人蔵) 555000円












実乃鈴への各種ご依頼を承っております

⑴ 日本舞踊 出演

 各種舞台・レストラン・ホテル・日本文化イベント・新作発表会・上顧客へのパーティ等々

⑵ 日本舞踊 振付 

⑶ プロアーティストへのお稽古。一般へのお稽古

  (日本舞踊は姿勢美の良いレッスンにもなりますよー!)


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