桜の浮世絵 動画と画像 大特集 Cherry blossoms UKIYOE!
日本舞踊 実乃鈴の ワクワクする伝統 ご紹介!お花見浮世絵!
まずは動画をどうぞ・・・(^。^)
豊国『浅草奥山四季花園□景 其二』 森屋治兵衛 嘉永5 古代江戸繪集
豊国『浅草寺桜奉納花盛ノ図』ト山口 安政4 風俗吾妻錦絵
豊国『浅草奥山 四季花園観梅遠景 』奥山は花の行楽スポットの1つでした
豊国『浅草奥山四季花園入口光景』森治 嘉永5 風俗吾妻錦絵
国貞改二代目豊国『江戸名所発句合之内 飛鳥山』 上金 天保-弘化頃 豊国錦絵
初代 歌川広重 御殿山 花見之図(ごてんやま) 弘化4~嘉永元年(1847~1848頃)
江戸時代の桜の名所・御殿山(現・品川区北品川あたり。寛文(1661~1673)の頃から桜が移植されたと伝)
江戸っ子たちが好んだ桜の名所の五大名所は御殿山、隅田川堤、上野山、郊外の王子の飛鳥山と小金井。
江戸時代の桜の名所の特徴は、自然でなく、人工的に植樹され、遊覧の地が整備されて作り上げられた名所だということです。御殿山の地名の由来 太田道灌が屋形を構えていたため or 徳川家康が建立したと伝えられる品川御殿があったため。歴代将軍の鷹狩の休息所や、幕府重臣を招いての茶会の場としても利用されたそう
歌麿『御殿山の花見駕籠』
日本で花といえばさくらの意味です。俳句でもそうですね。
しかし、古くは,まだ冬の気温の中でも真っ先に咲く梅の花の事だったとのこと。
「今のごと心を常に思へらばまづ咲く―の地(つち)に落ちめやも」〈万葉集1653〉
「春や疾(と)き―や遅きと聞き分かむ鶯だににも鳴かずもあるかな」〈古今和歌集春上〉
広重 & 豊国『江戸自慢三十六興 東叡山花さかり』
歌麿『青楼歌舞伎やつし画尽 』十番続
「さくらさくら」 和妻Jun-makiちゃんと。春かすみバージョン (リハーサル)口笛はプロの儀間太久実さん。
鳥文斎栄之『 桜下御所車』
旗本出身の浮世絵師さん。はじめ狩野派の栄川院典信に学び、優れた画技そ知った将軍家治から「栄之」の画号を与えられたそうです。天明期から作画し、寛政5.6年には歌麿の人気に迫る活躍をしますが、寛政10年以降は、錦絵の制作を止め、肉筆浮世絵に専念したそう。この美人たちは御殿女中です。嶋田髷や児髷の少女、裾模様の小袖もこの時代の特徴です。高貴な人物が御所車からさしだした短冊は、桜の枝に結ばれ、風流な花見が始まります。
渓斎英泉 のお姐さんたちは、顔を大きく描かれます・・・衣装、スゴイですね!
渓斎英泉『花見帰り隅田の渡し 四季の内春』楽しい1枚
一勇斎国芳『隅田川花見」庶民的で好き あい色は当時の流行りカラーです。
一勇斎国芳『隅田川之朝霧』
一勇斎国芳『東都東叡山の図』
菊川英山「花見』(1765-1804年)
英山は初め父(英二)に画を学び、後、鈴木南嶺の門へ。
また、ひそかに北斎の画風を慕い北斎流もちょっと折衷した。菊川英山は早熟の人にして、享和年間16、7歳の時に初作(役者絵)を発表。文化4年 21歳の頃には一流の版画家に。美人画が最も多く 文化初期の美人画は、初代歌麿の晩年の画風にとっても似てると言われる。『江戸大節用海内藏』二冊(文久3年完成)の挿画を描く。門人数名中、渓斎英泉は最も著い。
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