日本舞踊は たのし 美し 価値ある日本の文化です
実乃鈴の日本舞踊 入門クラス はじめてさんのお稽古
みなさま
日本舞踊をライブ鑑賞されたことはありますか?
江戸時代の様々な階層・職業の立場の人間模様が、
日本の四季折々の情景の中で、
台詞でなく、踊りで物語られる芸能が日本舞踊なの。
日本舞踊は「物語」
ですので、DANCEと訳すのは「チョトちがうなぁ」
人の感情全てを美しくがモットー
ぶつけたり吐き出すような様は見せません
楽しい、面白い、粋で素敵、恋の嬉しさ、恋のもどかしさも
日本舞踊では美意識で表すことが求められます
冨永愛さんが 言ってましたね:
「ヨーロッパのモデルたちは 自分の国の文化を良く知っていて自慢しあってた。でも『日本は?』と訊かれたとき、自分は何も答えられなかった・・・日本の伝統を何も知らないことが恥ずかしかった」
以来、富永さんは「日本の伝統・文化を知ろうと思った」そうです
同じ体験は、留学や遊学・旅行先で経験した人は少なくないのでは?
ある現場のMCさんも「外国で恥かしかった」と。
「日本を知らなかったんだと、海外で気付かされました」
「私も日本舞踊を習ってみたい」と言う彼女に、
「なるべくベテランのお師匠さんを見つけて日本舞踊をお始めなさい」とアドバイス(わたくしが教えたかったのですが、ちょっと遠方でしたので・・・残念)
日本舞踊には、女性を美しく見せる伝統技術が詰まっています
表現する為に学ぶ母国の歴史と、そのバックグラウンドを知ることは、今の多くの日本人に要りますわね
自分の国を知ってこそのグローバル!
日本女性として知った方が素敵な いろいろのお勉強にもなります
先ず、姿勢!キレイ、美しくなります (⌒-⌒)
日本の四季折々の情景の中、
江戸時代の様々な階層・職業の立場の人間模様が踊りで物語られる芸能が日本舞踊。
踊りの型を覚えても、[ 日本舞踊にならへん人 ] がいるのは、その大事をわかってないからでしょう。10年以上お稽古してる?人でも・・・教え手の責任も?
教え手には相当の歴史的お勉強と、お弟子さんへの配慮が要ります
やればやるほど痛感します
先生、お師匠さんと呼ばれても、あぐら(慢心)かいたらしまい
どの国の伝統芸能も、その国の気候風土から生まれます
寒い国・暑い国、それぞれの自然と付き合う暮らし方全般が、そこの人のセンスを作ります
芸能は人が生み出す芸術 その国ならではの特性があります。
どこの国でも、自国の伝統はよく知ってはりますし、大事にされてます
日本人は・・・どないですか?
若年者だけやおへん。共白髪のご夫婦でさえ「日本舞踊、見たことない。。。」
お二人とも キマリ悪そうでした。。。
日本舞踊ヒストリー
最初は、出雲出の巫女あがりだったと伝わっていますが信憑性は??が、四条の川原でウケを狙いキワドイ見世物で当たったようです。でも、案の定、風俗に良くない感じによって幕府から風紀を乱すと禁止されまして、
「キャストが男だけならOK」と許されて、歌舞伎が始まりました。
四条には 南座が現存(建て替え済み)。
江戸期には、向かいに北座もあり、洛中四条は数軒の芝居ホールも。
洛中四条は芝居や舞踊ショースポットでした
小屋に出演できなくても河原を仮設舞台にしていたのです
芝居やダンスをする人が「河原乞食」と呼ばれていたのは、ココからきてると思います。
ただ、
江戸時代の乞食は今とは感覚が違います
文字通り「食べものを乞う・頼む意味」でしたから、
働く人たち・・・ストリートパフォーマンス系は乞食と括ってたのです。
坊さんでさえ乞食 (ただし托鉢は修行。真面目な修行です)
乞食坊主と呼ばれたのは、一休宗純タイプ。(⌒-⌒; )
飲酒や女買いなどが平気のケシカラン連中が坊主のナリ(服装)で、テキトーな祭文などを 門つけ(玄関先や門先で唱えるパフォーマンス)や、道端で行っていたそうで・・・
酔っ払っては愉快??に騒ぎ、女郎屋通い・・・
その風俗は歌舞伎「浮かれ坊主(願人坊主)」「まかしょ」で表されています。
ストリートお経や、ストリートお祓い・ストリートエンターテインメントで食べ物や金銭をもらう人なら、乞食よばわりだったようです。
現在、
芸能界が 河原乞食と言われなくなったのは、先人のおかげさまです。
もしも先人たちが、図に乗って、各自やりたい放題無法者ばっかりだったなら??
今でも芸能の世界の社会地位は見下げられていたでしょう
わたくしたち芸に生きる者は完成なんかありません。
だから図に乗られへん
それが、伝統芸能プロのアーティストの在り方の基本と代々、伝わっています
ニッポン魂の芸能をつなぐあなたに なってほしいです
先ずは気楽に第一歩!
日本舞踊実乃鈴、日本舞踊出演、日本舞踊イベント出演、日本舞踊初心者クラス、日本舞踊振付、日本舞踊と現在音楽コラボ
Comments