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小唄 →「粋・色気・お洒落な伝統音楽」What's KO-UTA music ?

日本舞踊 実乃鈴のワクワク[ 伝統 ]



 小唄(こうた)ってなぁに?

「粋・色気・お洒落な伝統芸能」です!


①明治末期から昭和初期までに主にレコードで用いられた流行歌謡の分類。

江戸時代以来の端唄・俗曲・民謡をも含み,新作流行歌もあって内容は多様。概して日本調の歌。

② 邦楽の一種目。三味線の爪弾きで伴奏する小歌曲。江戸末期流行の端唄を源流とし,②の一部の様式化として大正時代に成立。


小唄は お座敷ミュージックですが、ハデハデに騒ぐのでなく、しっとりを味わいます。

例:「春雨に(相合傘)」のほう。歌詞も「端唄 春雨」とは別です。

(「春雨」は しっとりしてますが、上方端唄に分類されます)

他には「夜桜や」「茶のとが」 など



 小唄は、

清元節(きよもとぶし)・一中節(いっちゅうぶし)・河東節(かとうぶし)を【極めた人々=プロフェッショナル】が「普段の宴席での楽しみに ♪」 と、小粋な小曲にアレンジしたジャンルなの

ですから、お座敷で大いに流行りました


お座敷は、江戸〜昭和初期はその時代の文化サロンの役割もありました。

つまり、教養のある御仁しか 真に遊べなかったのです。

「極めたプロたち」の中には芸者も居て、作詞でも作曲でも活躍しました。

小唄のレコードもよく売れたそうです。



日本の伝統芸能は ハイスキル


「小唄は 呟くように歌う」と言われますが。。。呟きでは歌えませーん。

カンタンに真似できない歌唱テクニックは、さすが元が「浄瑠璃

音階が難しいですわー!それも大きな魅力。

(YouTubeで聴いてみては?好みの声や三味線の方を見付けてほしいですね!!

そして、真似してみて!日本の伝統芸能のハイスキルっぷりか実感できます

梅は咲いたか 東京小唄清元教室


そりゃそうと・・・、

*「じょうるり」ってなぁに?

  浄瑠璃とは「ものがたりうた」


文楽は わかりますか?人形浄瑠璃を文楽と言いますね

大きな1体の人形を3人が分業して遣い(動かすこと)、

本当に笑ったり泣いたり恋してるように見える・・・

すごい伝統芸能です

文楽人形制作もスペシャリスト テクニックが満載!

(関西は関東よりも馴染みがあるでしょう。その文楽の音楽が浄瑠璃です)


昔は、音楽と歌で「物語」を聞かせておりました

芝居小屋だけでなく、ストリートでも。

内容はフィクションだけでなく、

史実も歴史も、歌と演じるパフォーマンスで伝えられてきたのです


ですから、浄瑠璃は歌や音楽というより【物語

浄瑠璃の題材は 悲恋・悲劇も少なくなく、辛く重〜いのも。

そのシリアスな浄瑠璃を、

軽やか〜な楽しみ用に新たに創ったのが「小唄」


小唄の歌詞は恋心が多い

 キュン となる女性は多いと思いますよ!聴いてみて😊

腕守りの途中の三味線、佃流し(佃)が好きです。川の情景をあらわすメロディーで、そういう曲に使われる「手」です。(YouTubeをどうぞ)












小唄の元となった音楽ジャンル3つ


① 一中節 いっちゅうぶし(元禄宝永1688〜1711)上方で流行した座敷で聞かせる唄浄瑠璃

京都で,都太夫一中が語り出し、(初代の没後 一旦は人気が遠くなったが )

江戸末期に再興。現在に至る。


② 清元節 きよもとぶし(1716〜1736) 江戸歌舞伎浄瑠璃 ドラマチック

清元延寿太夫を祖とし,富本節から分かれたジャンルです。

浄瑠璃中で最も派手で粋な語り口。

裏声による技巧的な高声に特色がある。(今の若手歌舞伎の中村右近は清元の奏者と二足のワラジ)単に清元というほうが多いですね。

戦前まで大繁盛してた大阪の新地は、清元をやる顧客が多かったそうです。

単に清元と呼ばれる方が多いです。歌舞伎の尾上右近君も清元の家。


③ 河東節 かとうぶし  派手め&渋く&優美さもある曲風 代表曲「助六」

(芸能の多くは上方が発祥の地でした)生粋の江戸浄瑠璃 十寸見 河東(ますみかとう)が半太夫節から分派して創始。

江戸時代 歌舞伎のご贔屓客で、河東節を稽古し 腕が上がった人々は、歌舞伎の助六の舞台の、遊郭のセット後ろで弾く(発表会)という究極の楽しみも味わえたそう。まぁ、余程の贔屓筋だったでしょうけどね!



浄瑠璃は 小唄の大元

人形浄瑠璃(現在の文楽) 京都から三都に流行し大阪で大成功!文楽のこと。

 後に数々の舞台芸能・音楽芸能のスタイルの元となりました。

演劇の一様式としても確立し,歌舞伎が人形浄瑠璃のヒット作を人間バージョンにするなど、影響力は大。


京都の伊勢島節・角太夫節・加賀節,大坂の播磨節・文弥節などの古浄瑠璃が盛行(それぞれYouTubeで検索すれば聴き比べできまーす)

1684年

竹本義太夫が作者・近松門左衛門とユニット結成。

大坂の竹本座で義太夫節(ぎだゆうぶし)を語り始め、大ヒット。

浄瑠璃は「義太夫節」の異名ともなった。のち豊後節や その系統の常磐津節・清元節などの歌舞伎浄瑠璃、また 一中節・河東(かとう)節・新内節など座敷で聞かせる唄浄瑠璃など諸浄瑠璃が派生した。

(大阪の花柳界の「なんち(今の西難波)」は義太夫さんが多いのが特徴だったそうです)




 花街以外での小唄

盆踊り・念仏踊りは室町後期〜近世初期に流行した小歌に合わせて踊る風流(ふりゅう)踊りが元

初期の京都祇園祭でも、風流(ふうりゅうでなく、ふりゅう)がされてました

オモシロおかしく賑やかに踊りながら町をパレード・・・

その目的は、町の疫神・怨霊らを「なんか楽しそう」とおびきよせ、

集めた疫神・怨霊らを集め・・・ソヤツらは河へ流し去られ・・・

(・・・大阪湾のハモや魚は 喜んで食べるんやけどね!)




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