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踊れる時代・踊れない時代 今を乗り切る先達のお手本

大阪のお師匠さんが お手紙をくださいました。

 戦争と爆撃、その暮らしの実体験のお話です

次は わたくしたちが、覚えて、後輩へ伝える

「大切なこと」と思います

(大阪のお師匠さんの踊りは、他のお師匠さんたちと違いました。実際に花柳界で育った方にしかない風情・匂いを持つ芸でしたので、母も景色を見せる踊りでしたが、母の他に習いたい方と思い、通わせてもらった方です。20年前に大阪を引っ越されて以降は、あまり会えなくなったので、専ら文通、時にお電話しております。

現在、齢92。本当に小柄な方ですが、筋肉以外は問題なくお元気です)

6枚のお手紙が届きました。抜粋にてご紹介します。

大ベテランの先達が、後進へ伝えておきたいお気持ちを読み取ってね。 あなたの心にも、届けば幸いです。

『このような お手紙を出すこと とても寂しく思い、涙して書いて居ります。今は連日コロナのニュースで気が滅入りますね。

芸術が全く出来なくなり、何の望みもない世の中が、どうか復活してほしい。

人それぞれ寿命があり、私も何れ旅立つのでしょう。

お弟子さんたちのおかげ様で、満足出来、有り難く御礼申し上げます。

私の16歳の時、第二次世界大戦。アメリカが相手、勝てるわけがありません。

大阪大空襲、飛行機で雨あられ 爆弾で攻められ、お母さん(清元の師匠)と新町から御堂筋へ逃げました。来たトラックに頼んで乗せてもらい、天六線に乗り(難波以外は電車が動いていたようです)豊津の駅まで行き、親戚を訪ね、助けてもらいました。

有り難かったのですが、食料のない時。長くお世話になるわけにもいかず、行先もないまま、出て行くことにしました。布団と、世帯の要り用の物を持たせてくれたご恩は一生忘れられません。今でも感謝しています。

友人の知合いの二階を借りて落ち着きましたが、そこも長くご迷惑になるわけにいかず、

わたしが勤めていた軍需工場の寮に入れるよう会社に頼み、貝塚へ引っ越し。田舎で夏、蚊が多く眠れなかったのがとても辛い思ひでした。

15日 終戦。また大阪新町へ戻り、北通りの家へ移ってやっと落ち着きました。

私は住み込みで新町新地の花柳界で働くことに決めました

踊れるのだから芸者に と誘われましたが、衣装などの借金が怖くて、お運びさんを選びました。

母は、大阪市役所へ小唄や端唄を出稽古するようになりました。電車やバスに乗って大変そうでした。母は若い時より働き詰め(爆撃までは新地でお座敷に出ていた売れっ子清元さん。元は東京の方。関東大震災で関西へ来られた)で大変な日々の生活を続け、母には苦労ばかり、親孝行出来なかった事、お詫びしながら申し訳なく心で想ふばかりです。

あの頃は、何とか二人で働き 精一杯の生活でした。

当時の花柳界トップのお師匠さんに入門。

住み込みで働きながら、月に7回お稽古に通いました。

24歳で世帯を持ち、28歳 名取となり、お弟子さんを持って教えられるようになりました。

会もできるようになりました。

(会:舞台をかりての踊りの会の意。今の発表会のようよりも本格的な舞台。地方さん・鳴り物さん・お狂言さん(舞台総監督)・化粧さん・結髪さん・衣裳さん・後見さん・・・すべてプロを手配して開催されます)

南御堂会館は、初めての会の場でした。当時は貸し舞台は少なかった。

下合わせ(リハ)と会当日との二回使用で100万円!

びっくり致し、その上、舞台総監督、小道具、松竹の衣装が二人、顔師数名、ビデオ映像と、大勢に決まった金額のご祝儀が要ります。 大変な出費。

当時、組んでた2人の仲間は、計算収支など毎度 私に押し付けていたので、やや苦痛になってました。

顔師さんから「お一人で会をされては?」アドバイスもあり、1年毎に 自分だけの会をするようになりました。

お陰様で20回できました。出てくれたお弟子さんたちには感謝しております。

(お一人で20回も会をなさるのは並大抵ではありません。良いお弟子さんがたと長い長いお付き合いがあってこそ!)

サンケイホール。堂島仲町の毎日ホールは一番広くて使いやすかった。その後の新大阪メルパルクは、お手伝いに来てくれましたね。衣装を着けて階段を上がったり降りたり、舞台と楽屋の往復。使いにくかった。

国立文楽は、最後の会まで何回も使いました。いつも楽屋のお手伝いに来てくれましたね。ある時は、大勢の若手たちを連れて来てくれて嬉しかったです。

若い人たちに日本舞踊の舞台を観せてくれるのは嬉しいことです。

あなたの舞台は大好きでした。身のこなし、手と脚の素晴らしさ、バランス、音楽にも乗って素晴らしさに感動致しました。

すっかりファンになりました。

母が82歳で亡くなり、夫も逝き、そのうち近所には外国人が集まってしまい風情が消え、だんだん寂しくなって、家を売り、奈良の妹の近所へ引っ越したのはご存知の通りです。

二階に鏡を張り、稽古場にして、85歳までお稽古していましたが、ある日、台所で靴下が滑ってお尻を打ちました。仙骨が複雑骨折。入院。リハビリで6カ月入院。多額の出費でした。

退院はしましたが、外出する事が減り、ドンドン筋肉が減り、家の中で伝い歩きになってしまいました。今は車椅子です。

それ以外は健康です。

あの日 骨折さえしていなければ、いまでもお稽古していたでしょうと思ふと、残念です。

日曜以外はヘルパーさんが毎日1時間来てくれます。掃除、食事と助かってます。

今の生活には大した楽しみがありません。昔のようにお話しできる人が居ません。近所の弟は毎日来てくれます。弟家族も同居を言うてくれますが、まだ遠慮しています。

私のおどりのビデオは、あなたにもらってほしいです。

長い手紙になり、すみません。お許しくださいね。

お互ひに 元気で頑張りませうね 』

・・・このお師匠さんのお人柄が想像なされたと思います。

【人の痛みが分かる人は、それだけ苦労したからだ】と言われる通りですね。

師は わたくしやお弟子方々には一切、無理をおっしゃいませんでした。えらそうな態度もございませんでした。

まさに困難な時でも、おどりの研鑽は続けられたのですね。

それは見習います!

わたくしは戦争を知らない世代ですが、子供の頃から、戦争の話は聞いておこうと思ってきた子でした。

実際に、祖母も戦争の所為で、視力に障害がありました。

祖父の兄弟は空襲の犠牲になったと聞いています。

祖母が被爆者ですと言った教え子もいました。

わたくしは、祖父と会っていません。祖母と母からいろいろお話をき聞いてはいますが、

柔術の師範代だった母の父親・信三郎じいちゃんにも、

細棹(長唄・清元)も 太棹(義太夫)も弾きこなしたという富三郎じいちゃんにも会いたかった・・・

母もわたくしも三味線を、ぜーったいに教わってたでしょう。

そして、富三郎じいちゃんが繁盛させてたと聞く料亭に、母娘で貢献してたと思います。

 唄に踊りに三味線で、十分、おもてなしできたでしょう。

母は人当たりも唄も抜群!

芸が出来る日々 よくよく考えれば、すごいこと。

それを、心から思うのか否かも、その人の芸になるようです

歴史に生きていた普通の人たちが居た。

どんな事をどう乗り越えてこられたか・・・

 体験が無くても人は想像出来ますものね。

想像でも心に沁みれば・・・先ず、お稽古が変わってきますね。

お稽古の仕方が。

たぶん【先達に習って心から 努力や工夫をされるから】ではないかしら?

それらの大元(モチベーション)は、誰でもがけっこう簡単に口にする「感謝」なのでしょう。

ほんとうに想う感謝・・・は、そう何回もないかもしれません。

 (感謝してたつもりだったのに、とハッと気付くこと、未だにございます)

ある時、お稽古終わりに、師といっしょにTVを見てお茶をいただいている時。

近隣の分からず屋諸国のニュースについて、絞るようにおっしゃいました。

「生きてるうちに、また戦争になったら、こんな、情けない人生はない!」

その時、 [ 実感とはこれか! ]  

 人さんの体験の深さにハッとしました。

わたくしは、そのご様子を今も心に刻んでおります


「生きてるうちに、また戦争になったら、こんな、情けない人生はない!」


そうならないよう、舞踊家のわたくしたちも平和を作る何かをしていきたいです。


こうやってお話するのも1つかと思います。



今はウイルスとの戦い。

でも、戦争はもっと恐ろしかったのでしょう。

家が焼かれ、食べ物がない。薬もない。頼れる人がいなかった少年だったとご本人からお話を聞いたこともあります。(故郷を離れて、がむしゃらに働いてる、わたくしがお会いした時は、立派なおじいちゃまになられてました)

春以降、おどりの現場はなありませんし、グループでのお稽古もお休み中です。

でも、休むことは 生徒さんを守る意味があります。

まだしばらくは じっと忍耐。

でも、決して諦めず、うかつにならず、勝利したいと思います。

お稽古をマンツーマンで依頼してくれるお弟子さんもいますし、アーティストの皆もいます。

気持ちには気持ちで応えます!


なんにせよ、

暗い顔なんかしたないわ。

明るく居たいですね!!

 「負けてたまるか!!」舞踊家スピリット!!

実乃鈴

日本舞踊のお稽古で 姿勢を良くできます

日本舞踊のお稽古で 足腰を鍛えられます

日本舞踊で四季のある国の世界に誇る美しさを身につけましょう

おうちや職場へも出張します。

お気軽にメールくださいね

MINOSUZU

You can improve your posture by practicing Japanese dance.You can train your legs and hips by practicing Japanese dance.Learn the beauty of a country with four seasons in Japanese danceI also go on business trips to my house and office.Please feel free to e-mail me.

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