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上方歌舞伎 KAMI-GATA KABUKI

日本舞踊 artist 実乃鈴の「のんびり読む」ブログマガジン

【上方歌舞伎を特集します】

MINOSUZU's blog " Knowledge of various about JPN" magazine that read leisurely This time “ about UKIYOE of KAMIGATA (Kyoto & Osaka) "

まずは、上方歌舞伎の上方浮世絵からご紹介しましょう

歌舞伎は豪華な衣装と奇抜な化粧と大袈裟な動きで、とても愛されている古典ドラマです。 17世紀に始まりました。

KABUKI is a classical & much-loved form of drama featuring gorgeous costumes,outlandish makeup & exaggerated movements .

It originated in the 17th century .

上方浮世絵 KAMIGATA-UKIYOE

江戸後半〜明治時代初期まで主に大坂で作られていた浮世絵版画。

(海外では「OSAKA PRINTS」として大英博物館等 世界各地の美術館に収蔵)

上方浮世絵の特徴

上方の美人画は肉筆が主流でした。

肉筆の浮世絵は、安土・桃山時代に上方で生まれ、洛中洛外図など描かれました。それまで絵は貴族や上級武士のものでした。

町衆が商業で力を得て、町衆文化として肉筆の浮世絵は生まれたそうです。

・江戸版画と違い、美人画・風景画は少ない→上方の伝統文化では絵は上流階級が楽しむ、ゆえに「絵画とは肉筆を言う

上方浮世絵の大半は道頓堀の歌舞伎芝居を描いた役者絵

美化せずに人間味を描く(江戸の役者絵の豊国や国貞は役者を華美に美化してるといわれる)

目チカラと目線が強い。視線には芸能の程が出ます。上方の絵師は役者をよく見てるからこそ視線を構図にしたのはさすがです。

上方の役者は素顔で公演後の舞台挨拶に立ったそうです。いつまでも飾らない。観客や贔屓たちは生身の人間として役者を尊敬したようです。

江戸の役者絵は(現在の役者のイメージ戦略のように)あくまでも格好良く見せる。役者を虚飾された世界に役者を置くのが江戸好み。

写楽は大坂人だった?説 東洲斎写楽

1794年5月から たった10か月間だけ活躍した絵師。

役者似顔絵140種ほど&少数の相撲絵。

カッと目を見開いた瞬間の表情や、端役だけど真摯に演じる個性にフォーカスし、大胆に表現した写実の手法が特徴的。

「あまりに真を書かんとて」あんまりそのもの過ぎて(美化しなかった)ゆえに制作期間が短かった(ものすごーく似てたのでしょうね) とあることからも、上方出身者ではないかという説があります。実は上方錦絵の祖、流光斎(写楽と同時期に活躍)の浮世絵は、写楽の絵にとても良く似ているのです。

歌舞伎 重春「傾城雪月花」

庶民が楽しんだ当時の賑わいが想像できます。

舞台もスケール感がありますね!

上方(KAMI-GATA=OSAKA & KYOTO)は 歌舞伎だけでなく、様々な伝統芸能;舞踊、落語、人形浄瑠璃(文楽)

食では、うどん、蕎麦、田楽豆腐の木の芽味噌などなど

発明や発祥の地なのです。

二代歌川国貞 『三味線ひき 市川新車』「浄瑠理太夫 市村家橘」1865

「一枚看板」 も、

元は、上方歌舞伎で 勘亭流(Kan-tei-ryu)で 外題(ge-dai)を書かれ、その外題の上に 主要な役者の姿絵を描いた 1枚の大きな飾り看板のこと。

転じて、「その1枚看板に描かれる役者自身」をいうようになり、さらに「一般の大勢の仲間のうちの中心人物」を意味するようになった。

Kami-gata = OSAKA & KYOTO were the birthplace of cultureKabuki as well as a variety of traditional performing arts;Dance, Rakugo, Doll Joruri (Bunraku)Food: Udon noodles, buckwheat noodles, tofu budding season miso, etc.

1765年 江戸でフルカラー木版画=錦絵が発明され、すぐ江戸中に広まりました。庶民も買える値段だったからですね。

1791年、上方(京・大坂)でも浮世絵版画、上方浮世絵が作られるようになったのです。歌麿や北斎・写楽が活躍する直前のこと。

浮世絵バージョンアップ

天保の改革(1843〜47年)で浮世絵が中断、その後の浮世絵はサイズダウン&バージョンアップしました。

それまでは大判(B4サイズ)→半分の中判(B5サイズ)に。金・銀・銅粉が使われまして、小さくなった分、画面にアイデアを凝らされ、リッチになりました。

上方落語が発祥した初期は、寄席という小屋はありませんでした。

落語は、町の雑踏の中で演じられたゆえに、町の音に紛れない工夫がされました。

今でもお馴染みの「鳴り物」で賑やかに楽しそうな音を出したり、いろいろな小道具を使うことなどての効果で、道行く人々の気を引き、足を止めて、落語を聞く気にさせたのです。

落語と言えば出囃子。それも、江戸落語が真似をした歴史があります。 

江戸時代の大阪歌舞伎。 手紙がキーの1シーンです。

荒事では、主役は伝説上のヒーローが演じられます。

この御仁は、とっても強い!

In 荒事 ara-goto plays , the main actors play the roles of legendary .

この頃の仁左衛門さんは、今の仁左衛門さんとは

お顔立ちが だいぶ違いますね。

見得を切る瞬間の浮世絵です。七代・片岡仁左衛門

描写された手指のチカラが迫真!

大立者 おおだてもの;その分野の一番の実力者、重要人物。  本来は、歌舞伎で座頭(ざがしら)や立女形(たておやま)など、一部の中心役者を「立者(たてもの)」といい、さらにその中でも主要な幹部役者を「大立者」といったことに由来する。 「立て」中心・筆頭を意味する接頭語「立て行司」=最高位の行司。

重勝「菅原伝授手習鑑」 " SUGAWARA DENJYU TENARAI KAGAMI "

重勝「菅原伝授手習鑑」中村芝翫 Shi-kan NAKA-MURA 

いい顔!決まってますね!

* 歌舞伎化粧 about KABUKI makeup

歌舞伎の特徴的な化粧には、それぞれ意味があります the meaning about Makeup. One of the hallmarks of KABUKI is the use of makeup to indicate each character’s personality .

白化粧は善人や主人公を表します。 The type of White makeup tells us he is gentle & good-natured .

大胆でハデな赤い隈取りは、役柄の気性の荒さを表します。 On the other hand , we know from the over-the-top makeup featuring Bold Red Lines (called KUMA-DORI ) that is quick-tempered .(Hot blooded )

 隈取りの色別の性格 赤い隈取り:血気盛ん・強さ・勇気・力強さ・正義 青い隈取り:邪悪さ・悪者 茶色の隈取り:超自然や不可思議な存在の役

 the characters by ”KUMA-DORI ”

Red : symbolised Strength & sense of Justice    Blue : evil , villains Brown : is used for a wide variety of Supernatural beings .

荒事では、主役は伝説上の英雄を演じます。 In 荒事 ARA-GOTO plays , the main actors play the roles of legendary heroes .

* 見得 about MI-E 「見得を切る」と言いますね。歌舞伎の決めです。 見得は大まかに3段階の動きがあります。 Executing a 見得 MI-E involves 3 steps .

先ず、脚を大きく広げます 1st , the actor spreads his legs wide apart & positions his dodybin the way that is most visible to the audience .

役者は、あの頭を動かす所作で、観客の注意を惹きつけます。 the actor then wiggles his head to draw the audience’s attention to his face .

そして、独特の目の使いをして、最後はキリッと決めます。 Finally , he moves his eyes in an exaggerated manner & them freezes .

この「見得を切る」所作は、まるで映画のズームのような効果をもたらします。 先人の知恵に驚かされますね! Because MI-E is done in these steps it creates a “ dramatic effect “ It’s like zoom shot in film .

現在も独特な様式美として継承されている歌舞伎。 その舞台での様々な物語の技術は、観客の関心を惹きつける表現が追求されてきたようです。 In KABUKI ,various storytelling techniques have been developed to engage the audience’s interest . Today , they are all regarded as unique artistic conventions .

大にぎわいの楽屋裏です! 芝居小屋は大繁盛!

上方歌舞伎の特徴は「役者絵」が主。

道頓堀には、芝居小屋がひしめいていたそうですので、この浮世絵を見ますと、なるほど、納得できますね。

金門 五三桐 南禅寺のこのシーンしか上演されないのが主ですが、延若さんは親子で通し上演。

二世 實川延若の当たり役を引き継ぐ 金門五三桐の通し狂言。

五右衛門の家へ捕り方たちが逮捕に来ますが . . . .

五右衛門は大つづらを背負っています

捕り方たちをけちらす五右衛門 

五右衛門は捕り方たちに囲まれます、が・・・

五右衛門の妖術で、空中に飛び出したつづら

宙乗り 歌舞伎の演出の一。妖怪や怨霊役の俳優を,綱滑車などで釣り上げ,舞台や観客席の上を移動させること。

五右衛門は仇の城へ乗り込みますが、また、囲まれてしまいます。主要キャスト一同揃っての見栄ポーズでキメ.

上方歌舞伎 3世延若さんの顔立ちは、 江戸の写楽を彷彿とさせますね

美化で成功?スペインのベラスケス1599〜1660

彼は 美化が上手い画家だったので、若い国王が(顔がコンプレックスだったらしいですが)「予の肖像はベラスケスだけに」

ベラスケスは宮廷画家として かの有名なラス・メニーナス(女官たち)など大作を描きました。ただ単に美化するだけでは「巨匠」にはなれなかったでしょう。才能を伸ばす努力と研究の賜物、そして野心。

・浮世絵バージョンアップ 天保の改革(1843〜47年)で浮世絵が中断、その後の浮世絵はサイズダウン&バージョンアップしました。

それまでは大判(B4サイズ)→半分の中判(B5サイズ)に。金・銀・銅粉が使われまして、小さくなった分、画面にアイデアを凝らされ、リッチになりました。

肉筆の浮世絵は、安土・桃山時代に上方で生まれました。(四条河原の図や洛中洛外図など)

それまで絵は貴族や上級武士のものでした。

町衆が商業で力を得て、町衆文化として肉筆の浮世絵は生まれたそうです。

1765年 江戸でフルカラー木版画=錦絵が発明され、すぐ江戸中に広まりました。庶民も買える値段だったからですね。

1791年、上方(京・大坂)でも浮世絵版画、上方浮世絵が作られるようになったのです。歌麿や北斎・写楽が活躍する直前のことでした。

視線の強い上方浮世絵 海外では「Osaka Prints」として結構人気

英国のビクトリア・アルバート美術館、ベルギー王立美術館、ジェノバ東洋美術館等と、個人コレクターも多数。ゴッホの集めた400枚もの浮世絵の中に5枚の上方絵がある

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