伊藤若冲 Jyakuchu ITOH 大特集!
面構え!
人付き合いが上手くない?下戸だった?女性の噂も聞かない・・・噂は様々。
でも、家業の八百屋さんは絵師デビュー前まで上手く経営してましたし、錦市場のピンチには、尽力されました。
今、錦市場が残っているのは若冲さんのおけげでもあるんどす。
夜のシャッターツアーもお勧めです。
若冲シャッター美術館になってます!
梔子雄鶏図 kuchinashi yuh-kei-zu
まだ、プロ絵師になる前の絵。
サインがうねっていて初々しい。
狩野派を学んでいた若冲は、実物を観察して、自分の絵を確立したくなったようです。
きっと、「実際の生と命を描けないか」と目標を持ったのでしょうね
(狩野派は写実ではない様式)
葡萄図(部分)
大〜金持ちの息子 ジョー・プライス氏
NYのアンティーク店で一目惚れ。(まだ未成年者だったのに)
今や世界一の若冲コレクター。
写実を求めた若冲
ですが、
残念なことに、
当時は、虎を見た日本人は、誰もいませんでした。
ドット柄はライオンのメスだとカン違いされてました。そりゃヒョウ!
ヒョウもライオンも、誰も見たことないのですから仕方ない。
大陸の絵を見て真似たトラ。
丁寧な毛描きは さすがの腕前。
1755頃『孔雀鳳凰図』1対の作品の最初の持主は、広島・あさの家
鳳凰図(部分)
若冲さんの緻密さの応酬。丁寧どころのさわぎではない。
老松白鳳図
尾羽にハート❤️
「美しすぎる」
これこそです!
透き通る胡粉が
まるでレースのよう
透き通る金色のヒミツは、裏面に塗る裏彩色(後述)
裏打ち紙をはがした時に表れたのは金ではなく、黄土色でした。
絹に描かれた作品は絹本と言います。けんぽん。
若冲は お金に糸目を付けずに描ける稀な絵師だったようです。
宮内庁にあると言う「旭日鳳凰図」
お金に糸目をつけなくても 優れた絵師は、古今東西、稀です。
相国寺 釈迦三尊像をメインに、左右に白孔雀と白鳳凰を。
THE 若冲のテクニック
裏彩色 Ura-zaishiki。
平安時代の仏画等 重要な絵の技法ですが、江戸時代には忘れられてたそうです・・・
日本画は 絹に描くのです。
絹本KEN-PONと言います 。
(紙は紙本 SHI-HONという。掛け軸でもおねだんの差になってます)
先ず、絹地全体に下塗りし
→表に白を塗り
→裏から黄土を塗る
→白に輝きとニュアンスが出て 立体感が出る
升目描き Masume-gaki
かの有名な『鳥獣花木図屏風』の一部。
1cm角の86000個!の升目の 1〜つずつに彩色。
着物の手描きみたいです。
拓本版画
木版に下絵→掘る
→別の厚めの和紙を乗せて濡らし→
彫った部分を凹ませて・・・
直接、墨を乗せると・・・
墨は 普通の版画よりも濃淡を調節できます!
白黒が反転した、今までにない世界観の作品になりました!
これも見事な・・・
THE『動植綵絵』
テツと鯛
*大阪の料亭では
河豚を鉄、スッポンを丸、と呼びます。これは古語辞典にも記載。
『菜虫譜』野菜たちと虫たちのパレード!
1788 天明の大火で若冲は大阪の西福寺へ避難。
襖絵は寂寥感があります。
しかし、
(右下)きりりと立つ蓮の蕾に負けん気が。
1797『像と鯨図屏風』 若冲82歳。画狂老人、ここにもあり。
若冲と北斎が、もしも同年代であったなら・・・きっと、ものすごーいことになっていたことでしょう !凌ぎ合いがもっともっと凄かったでしょう・・・でも、絵は楽しく描いて欲しいと思います。
ピヨピヨ
かわいい・・・
筆が走ってますね!
群鶴図(部分)
若冲の奉納
若冲はんは仏教を大事に考えておりました。
お世話になってたのが禅寺でしたし。
10年かけて五百羅漢像を奉納 (伏見の石峰寺)
若冲はんが描いて→石工はんが彫る。京都の復興を願っていたそうです。
最晩年85歳の鷹図。若冲の自画像とも言われています