「船場ことば」と「京ことば」①船場ことば The Senba OSAKA language
実乃鈴のゆっくり「読む」blog
船場ことば と 京ことば
The Senba language and the Kyoto language
皆さんは「船場ことば」をご存知ですか?
わたくしはカッコイイと思います
Everyone I know semba language?
I feel that " Cool " it,
一般に思われている大阪弁とは、ちょっと違います。
(最近は京阪神の人々さえ あまりわかってないようです)
ほとんどTV出演者たちのせいですね。乱暴な印象が付いてしまって。
本当の大阪ことばではない兵庫の言い回しやイントネーションが大阪弁として誤認されているのは、(今風に言えば )イケてない、ですね。
Not the language of osaka, for example, the wording and intonation of Hyogo It is mistaken as a Osaka Dialect.
That's not Good.
ことば(〜弁)とは、それぞれの地での歴史や意味のある大切なアイデンティティーですもの。
Each word is an important identity with the history and meaning of each place.
関東人が、なんでもかんでも関西弁なんて言うのも、わかってない。イケてないですよね!うちらは関東弁なんて 言いません。
本当の「船場ことば」は上品♪
The true "semba language" is Elegant.
「船場ことば」の歴史は、秀吉時代に遡ります。The history of the "SENBA-KOTOBA=spoken in the Semba s word" dates back to Toyotomi Hideyoshi era.
1583 大坂城が築城され、船場に商人たちが集められました。
堺や伏見からも商人たちが集結し、一大商業エリアが作られました。
Osaka Castle was built And, merchants were gathered to Senba, and they made a large commercial zone.
船場の商人たちは、時間を惜しんでよく働くことを信条としていました。(現在でも、様々な卸売の店が残っています)
Semba merchants had a belief that they had to work hard to spare time.
船場:大阪市中央区にある商業金融オフィス街。問屋街としても有名。豊臣秀吉が城下町経営のため開削した東横堀川西横堀川(現在は埋め立てられている)および長堀川(現在は埋め立てられている)土佐堀川に四方を囲まれた地域をさす。江戸時代以来,船場商人が活躍。
商人たちは
「お客さんには、気持ちよく買い物なしてもらおう」の心配りから、言葉つかいも上等に(丁寧に)、
いろいろな名称も丁寧に呼ぼう」と考えました。
The merchants thought,"We can make our customers feel good about shopping."Polite words are born from their consideration.And, they thought that they would call various names politely. And they spoke of their own cosmetic "Semba word", and it spread.
そして、
独自の 品の良い「船場ことば」を話し、それが広まっていきました。(京ことばとは別)
(みなさんも、故・桂米朝さんの、あの物言い方を覚えてらっしゃるでしょう? あの、軽やかで 勢いはありますが 丁寧な感じ 。息子さん5代目 桂 米團治が、よぉ似てはりますね)
「お客さんには、気持ちよく買い物してもらおう」大阪スピリットは今でも感じますね! わたくしは大阪で買い物する方が気に入ってます。
買い物は気持ちよく! でないなら、欲しいと思っても買うのをやめます。イヤなシーンを思い出す買い物なんてナンセンス!(京都では、買うまでに一通り自慢話を聞かされますよ。どんな小さな事も大きーく自慢するのが特徴 (苦笑)。気づいてるやら?わざとやら?京の家系を引く者として、「そろそろやめた方が良い」と思います。大阪には見習う点がいっぱい!)
"it's a good way to get customers to shop." I still feel the Osaka spirit!I like shopping in Osaka rather than kyoto. Shopping is very pleasant!The clerk who has a bad attitude stops buying it even if it wants it.It is nonsense to remember the unpleasant scene every time I see what I bought!In kyoto, you will be told the bragging by the time you buy Something.The feature of Kyoto is to boast greatly even a small thing. As the person who succeeds in the genealogy of kyoto, I think that it is "it is better to stop the boast story which is exaggerated soon". In osaka, there are many points that the people of Kyoto can follow!)
キャッチーな船場ことば いろいろ
「おいでやす oide yasu(いらしゃいませ)welcome
「ごめんやす gomen yasu」(ごめんください)Call and greet when visiting other house
「だんさん」dan-san(商家の主、旦那)the head of a family
「おえさん」oe-han(商家の女将)the wife of the head of a family
「ごりょんさん」go-ryon-san(商家の女将)the wife of the head of a family
「いとはん」ito-han(お嬢さん、商家の長女)first-born daughter
「なかんさん」nakan-han / naknn-chan「なか(あ)んちゃん」(真ん中の娘、商家次女)The daughter who was born next
「こいさん」koi-san(こいとさん、商家の末っ子)Youngest daughter
「ぼん」 bon (坊、商家の息子、こども)Merchant's son
「ぼんぼん」bon-bon(生活苦を知らない世間知らず、あまり役に立たない若造の意)(hardships ignorant son who doesn't know.Youn man not very useful ,too .)
「若だんさん」waka-dan-san(商家の若い跡取り)Merchant Young heir son
「てんご」TENGO 子供のいたずら。悪さする子に「てんごしなさんな!」(悪さするな)
Child mischief.When I scold the child who is evil, say, "TANGO SI na SAN na! !Don't be evil, listen to what your parents say.
「かいらし」KAI RASHI 可愛らしい。「ほんま、かいらしいなぁ」KAWAII lovely cute
京とのイントネーション違い
「おおきに」oo-kini「大きに、大変、大いに有り難いこと」
大阪のイントネーションは「おおきに」京都は「おおきにー」(京ことばには 伸ばすクセがあります)
個人的には、大阪の方がいいなぁと思います。
「おおきに」の音階には、心からのじんわりした感謝を感じるからです。
"Okini, It's very much appreciated.
"The intonation of Osaka is "Ookini" Kyoto is "Ookiniii"
personally, I think Osaka is Better. The reason for the scale of "Ookini" is to feel gratitude Warishita from the Heart.
「〜さん」san 身近な物事への親しみ Familiarity with familiar things
天神さん ten-jin san(天満宮)これは京都も同じで「八坂さん(八坂神社)yasaka san」「くろたにさんkurotanu san(金戒光明寺)」とか呼びます。
「〜ちゃん」chan 好きな対象への愛情・愛着
Affection and attachment to a favorite object
「おばあちゃん O-BAA-CHAN」grandmother
「おじいちゃん O-JII-CHAN」grandfather
「飴ちゃん AME-CHAN」candy
因みに「飴は、豊臣時代の大坂の名物でした」
天下の台所大坂には、あらゆる食材が集まりました。
お砂糖もふんだんにあったので「飴」は名物の1つになったのですね。
《飴がリッチな食べ物だった時代から、大坂では飴は身近でしたので、親しみを込めて「あめちゃん」と呼ぶようになった》説は、有力でしょう。
In Toyotomi era, Candy was the famous Specialty of Osaka .
At that time, Osaka is known as "Japan's kitchen".
In Osaka all food material was gathered from all over Japan.
Sugar was in Osaka in abundance. So "candy" was one of there specialty.
Candy was very rich food at the time, but candy was close in Osakan people. So Osaka people affectionately called "AME-CHAN". That theory is powerful .
好まれるお芋さん(主にサツマイモ) O-IMO SANは「さん」付けですね
初対面同士でも「あめちゃんどうぞ」で和やかにする。大阪の人のコミュニケーション能力の高さは、平和につながります。全世界が学べばいいなーと思います(特に京都はね)Amiable to meeting each other. "Would you like AME-CHAN?"Height of the communication skills of people in Osaka, all over the world can learn a (especially Kyoto people.)
SIBOS世界金融会議が大阪で開催された際に、
わたくしは、来阪されたエグゼクティブたちへ、連日、舞を披露しておりました。
彼らが言ったのは「大阪は最高だ!」「気配りが素晴らしいのに気取りがない」「大阪に住みたいくらいだ」
・・・実際、今年の「世界・住みたいランキング」では
3位が大阪でしたよね。
During SIBOS, world financial conference held in Osaka
Executives who gathered at the Osaka open reception and party every day , and I danced in the Banquet Hall of each every day. What they said "Osaka's best!"Great care to not put" Osaka want to live in.
In fact, This year's "world rankings you want to live" in Osaka was in third place.
外国人観光客たちへ
大阪の女性たち、特にマダムたちは、飴を持ち歩き、会話のお供に飴を配る習慣があります。
あなたが、大阪マダムから飴をもらったなら、それはラッキーなこと!「仲良くなりましょうね」の気持ちがこもっているのです。
To foreign tourists
Women in Osaka, especially Madame, carry candy, there is a custom to distribute the candy to the attendant of the conversation. If you got candy from Osaka Madam, that's lucky! "Let's Make Friends" Candy is a feeling of familiarity from Madame.
1つの飴ちゃんの威力は、グレートである
わたくしも、電車の中で隣り合ったマダムから飴をいただいたことがありました。たまたま、2列シートで そのマダムと隣同志になり、なんとなく話しかけました。その方はコーラスをされていて . . . 二人で、芸能のことや、(日常にいろいろあるからこそ )大きな声を出すことは健康にも大切!などなど会話が弾みました。
「食べる?」気兼ねさせない気さくさで 飴を勧められた時は、ちょうど喉が渇いた頃、絶妙なタイミングでした。
コーヒー飴 ♪嬉しかったですねー!飴を持ち歩くマダムの気持ちを知った、嬉しい瞬間でした ♪( ´▽`)
あのお母さん . . .どうされてるかな?
きっと、お元気にコーラスに通ってらっしゃるでしょう。
「あの時は楽しい時間をありがとうございました」
The power of one candy is greatI got candy from next to each other on the train one day, Madam.We happened to be the two-column sheet next to the camp.I spoke to her somehow.In order to practice in the chorus, she was aboard a train. If we are the performing arts and the everyday stress loud get rid!Such talk.To produce a loud voice is good for health!We are lively conversation. "Eat one?"In a friendly way not disturbing me, she recommended to me. At that time, I was just thirsty throat.It was perfect timing.Coffee candy was glad!It was a happy moment I knew my candy to carry around at that time, Madam,. I Madame.I did not?I'm sure she still cheerfully goes to choir practice already will be. "Thank you for the hours of fun at that time. "
(「京ことば」へ続く )
船場言葉 weblio辞書より
船場言葉(せんばことば)は、大阪市船場の商家で用いられた言葉。昭和中期まで、折り目正しい大阪弁の代表格として意識されていた。大阪弁研究家の前田勇は船場言葉について「大阪弁は庶民的な言語であるというのが通説であるけれども、少なくとも船場言葉にそれは当たらず、船場言葉は、いうべくば貴族的以外の何物でもない。」と評した。
江戸時代から近代初期にかけて、船場は天下の台所と称された大坂の中心地として繁栄し、船場言葉は商業社会の共通語として広く用いられた。豊臣秀吉が船場を開発した当初は堺から強制移住させられた商人が大半を占めていたが、その後は平野商人、京都の伏見商人らが台頭。江戸時代中期には近江商人が船場へ進出した。このような経緯から、船場言葉は各地商人の言葉が混ざり合って成立した。
商いという職業柄、丁寧かつ上品な言葉遣いが求められたため、京言葉(とりわけ御所言葉)の表現を多く取り入れ、独自のまろやかな語感・表現が発達した。一口に船場言葉といっても、話し相手や状況、業種、役職などによって言葉が細かく分かれていた。暖簾を守る船場商人に限っては、経営者(主人、旦那)一族と従業員(奉公人)の独特の呼称を固定して用いた。
明治以後、中等・高等教育の普及による標準語化(船場言葉の使用層は裕福な家庭が多く、教育熱が高かった)や阪神間の別荘・宅地開発(帝塚山がモデル)に伴う船場商人の職住分離化(阪神間モダニズム)で船場言葉は変質していった。その後、大阪大空襲や戦後の混乱による旧来住人の離散や高度経済成長による商習慣の変化などが原因となって船場言葉は急速に衰退し、今では上方落語の古典落語などで耳にする他は、限られた高齢者にしか船場言葉は残っていない。
船場言葉を守り伝えようとする動きもある。
例:1983年に結成された「なにわことばのつどい」では約200人の会員が活動している。