働く 江戸時代の女性たち
実乃鈴の
「ゆっくり読むblog」
今回は、江戸時代の働く町の女性たちを
浮世絵からご紹介しましょう
MINOSUZU's "Slow reading blog"
I would like to introduce the women from ukiyo-E
from the Edo period.
働く江戸の女たち
先生・教師
歌麿『婦人手業拾二工 寺子屋』
UTAMARO
" A woman who teaches how to use brushes and letters "
機織り職人
歌麿『婦人手業操鏡 機織』UTAMARO " Women weaving "
縫い物
歌麿『於鶴岡若宮静女飄舞袖』 UTAMAR
働く江戸の女たち
歌麿『俄か黒木売り』
UTAMARO " The charade of Kuroki selling as fashion "
この歌麿のは「俄か」扮装ですから「見立て」「ごっこ」です。
大原女とも呼ばれた彼女たちのファッションは、京での商売用の仕事着でした。
このファッションの黒木売は人気となり、絵師たちは画境をそそられたようです。浮世絵の題材に多いですね。
大原女の服装は時代により変化しましたが、古くから続く共通した特徴は、
手甲・脚絆・わらじ。紺色に小紋の河内木綿の着物、御所染めの帯。吹き流しにかけている手拭いもキャッチー。百人一首や風雅な古歌が縫い込まれていたとか。知識あるお洒落は格上ですね!
喜多川月麿『桜黒木売美人図』
TSUKIMARO " BEAUTIFUL KUROKI SELLERS "
それにしても、
重さ30〜40kgもあったとか . . .本業は大変なお仕事!
京都の北、八瀬・大原から女性たちは、黒木を牛に積み、1束ずつ頭に乗せて、京都市中へ売りに出た . . .かなり距離がありますよ!
黒木は薪の一種。長さ1尺(約30cm)に切り揃え、窯で黒くなるまで蒸して薪に加工したもので、
焚き付け・お料理の必需品でした。
『青楼仁和嘉 女芸者 茶せん売 黒木売 さいもん』 ボストン美所蔵
働く江戸の女たち
渓斎英泉『浮世四拾八手ひいきをたのしみにみる手』
文政4~5年(1821~1822)」E.KEISAI ”a hairdresser ”
髪結さんが元結を縛ろうとしています。
お歯黒に薄い青眉で丸髷(既婚女性の髪型)
Kamiyui is trying to tie denominated. She blackening, a thin blue brow, a married woman's haircut .
商売道具の櫛「髱寄(たぼよ)せ」を前髪に挿してます。
舞台照明さんがバン線にガムテープなど通して腰にぶら下げてる姿みたいです(必要なものはすぐに手に取れる状態)
さすがは女髪結さん。かなりのお洒落姐さんです♪
かんざしが素敵!桜の花の両天簪 (りょうてんかんざし)と
琴柱形 (ことじがた)の簪の「W挿し」
菖蒲の花模様の着物に、襦袢の襟は竜田川模様・・・
初夏は和装にぴったりの季節。ついつい着物お出かけしたくなります。江戸時代も、きっとお洒落心が騒ぐ季節だったでしょう♪
ところで、
女髪結を贔屓にできるのは、余裕がある証。
一般庶民の娘にはできないことでした。
By the way It is proof that the woman Kamiyui can be favor. It was not able to be a daughter of the common people.
このお客さんの髪型は、未婚女性の結う島田髷、ですが、
手に持っているのは、手柄(てがら)
手柄を髷に掛けた島田髷は「結綿(ゆいわた)」に変化。
蝶模様の着物で、襦袢の襟は梅に観世水(かんぜみず)模様。
江戸時代の女性たちは、自分の髪は自分で結っていたそうですが
髪型がドンドン技巧的になったので、自分では結えなくなっていったとか . . . プロの女髪結が活躍したわけですね。
Women in the Edo period seem to have become spare by oneself because the hairstyle became a tsu one after another though it seems to have been to have made my hair by oneself. So, it is a professional woman Kamiyui was active.
そういえば、
喜多川歌麿が描いた 透けて見えたと言う燈籠鬢(とうろうびん)などは一体どう結っているのかしら?と思います。
美しくなる費用は、古今東西、惜しまないのが女心、ですね。
Speaking of which I wonder how the Toh-roh BIN (Lantern trimmer) is TSU to see through the Kitagawa Utamaro drew? The cost of becoming beautiful is like a woman's mind not to be spared in all ages and east and west.
「古墳時代の簪は魔除けの意味があったと伝わっています。尖った先端に呪力があり厄除けでもありました」(かづら清老舗)
Inthe period of KO-FUN(an ancient tomb) KANZASHI has mean as a Talisman .
ザッと降りはじめた激しい雨に慌てて洗濯物を取り込む女性たち。今でも同じ光景ですね。
歌川国貞 『水無月・冨士帰夕立』
KUNISADA " YUH-DACHI squall "
走りだす人たちの姿がアクティブに描かれていますね!
地面から跳ね返る雨脚、笠を被った娘の足元へと落ちた?!雷。
黒雲は生き物のよう。風雨の激しい風雨です。
中央に見えるのは、麦藁細工の蛇(旧暦六月一日の富士山の山開きに授けられる縁起物)だそうです。
蛇の目傘の娘は、尾上菊五郎の似顔の団扇を持っています。芝居見物の帰りですね。
The figure of the people who begin to run is drawn active! Rain bouncing off the ground, fell to the feet of a daughter who suffered a hat?! Lightning。 Black Cloud is like a living thing. Wind and rain. I hear that it is a straw-crafted snake that looks in the center. It is a lucky charm that is given to the climbing of Mt. Fuji on June Day lunar calendar Janome Umbrella daughter has a portrait fan of Onoe Kikugoro. She is the return of the theater spectacle.
水無月は陰暦の六月のこと。
6月23頃の大暑から7月21くらいまでが「本来の水無月」
The woman who captures washing in a hurry to the heavy rain which began to cursory. It is still the same scene. It is June of lunar. 2018 is "original Dashu" from June 23 (Sunday) to July 21 (Mon).
北斎『富嶽三十六景・隠田の水車』
The waterwheel of ON-DEN
北斎(戴斗時代)1818「絵本庭訓往来 養蚕・紡績の図」
北斎が描いた養蚕の様子です。
おかいこさま、と呼ぶのでしたね。
The state of sericulture painted by Hokusai
働く男たちもご紹介!
北斎 最晩年の作品(正確な年が分かりません)
「東都地名の内」
大きなお魚!!
1849頃刊行「北斎漫画十三篇『甲州にかんぴょうを製す』
"Hokusai Manga(cartoon) 13" "Koshu Manufacturing gourd
北斎『窓中の不二』
国立国会図書館
おまけ。働く北斎さん♪
お商売
歌麿『江戸名物 錦画耕作 摺工・店先・新板くばり』
三代歌川豊国『今様見立士農工商』より「職人」
安政4年(1857) 木版 町田市立国際版画美術館
歌麿『江戸名物錦画耕作 』
豊国『永春堂・扇子見世』
月岡芳年『風俗三十二相 おもたさう』 1888 明治21
味の素食の文化センター所蔵
天保年間 深川かるこ(軽子)の風ぞく」軽子とは、深川の岡場所で座敷へ酒肴を運ぶ女性のこと。お膳の上には煮物の大鉢と、熊笹を添えたお刺身。
岡場所:江戸で,官許の吉原以外の私娼(ししよう)街の称。深川品川新宿板橋千住などが有名だったそう。
広重『両国 青柳』
「江戸高名会亭尽」両国。「青柳」もの店は、東両国の駒留橋近くにあった料理屋で、両国橋にも近いので繁盛していたが、明治になる前になくなったそうです。もったいないですね。
出入口から出てきた女性は、料理を盛った大鉢を二つもお盆にのせ、手前の船に運び込むところですね。絞りの夏着物ですから、普通のお運びさんには思えません。経営者の家族かしら? 2人の芸者が船に乗り、料理屋の客と一緒に夕涼みに出かける光景とのこと。いいですねぇ・・・右上の扇型の中の狂句合に「青柳は妙月雪と花火の夜」花火見物のできる両国橋の夕涼みの期間中(旧暦5月26日から8月28日まで)とのことです。
隅田川の夕涼みの船の多くは、この絵のような4本柱に屋根をつけた「屋根船」小形の船。大形の屋形船の数は少なかったようです。
国芳『山海愛度図会 おもたい』(伊勢海老網) 佐野喜版
国貞『艶姿辰巳勝景色 深川三十三間堂』
茶屋の仲居さん。
なんという力持ち!
お客さんは必ず2階へ上げますので、お運びは大変な重労働ですね・・・
額に入った絵のようなのはコマ絵。
深川の三十三間堂だそうです。
なにわや おきた
水茶屋の看板娘
三世歌川豊国『小春十二月の内初雪・焼芋屋 』虎屋文庫所蔵
左側に焼芋屋さんがありますね。寒い雪景色に、かまどの火はありがたいですね。わたくしたちも神社の焚き火に手をかざしたりいたします。
『江戸に焼芋屋ができたのは寛政5年(1793)冬。
町内警備のため町境に設けられた木戸の番人のいる番小屋。その番人は給料が少なかった。副業として駄菓子やろうそく、冬は焼芋などを売っていた。江戸には専門の焼芋屋は少なく、冬に番小屋で売っており、行燈(あんどん)に“〇やき”丸ごと焼いたもの・“八里半”栗(九里)の美味に近いというシャレ。( 参照:松下幸子千葉大学名誉教授)
センターは商家の奥さん。丁稚くんが下駄にはまった雪を落としてあげてます。ぜひ、ご褒美に焼き芋を買ってあげてほしいものです。カミテの赤ちゃんを背負ったママさんが、丁稚くんの様子を見ています。きっと、母親の目ですね。
享保20年(1735)幕府は、すでに琉球から薩摩へ伝わっていたさつまいもの種芋を取り寄せて、青木昆陽に試作を命じた . . . 習ったとおりのようです。青木昆陽さんのおかげ様で、さつまいもは全国へ。普及しました。飢饉に役立つ作物として幕府はさつまいもの栽培を奨励したのでしたね。
お料理
歌麿『刺身』
歌麿 婦人手業拾二工 祇園豆腐
歌麿『餅作り』
歌麿『煤掃き』
歌麿『煤掃き』