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邦楽のジャンル『清元』語る芸能 KIYO-MOTO ; one of the school of JOH-RURI song & music of KABUKI

  • 1 日前
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清元 清元節(ぶし)」の略 歌舞伎音楽として今も息づく

KIYO-MOTO ; one of the school of JOH-RURI song & music.One of EDO-JYOH-RURI


人形浄瑠璃が 上方(京都大阪)で起こり、とってもヒット!!

流行りは江戸へ伝わりました


江戸へ下ったアーティストたちが、浄瑠璃を根付かせました が、

あまりの人気ぶりに、幕府が禁止令を出し・・・


仕方なく、帰京した師の弟子が、ちょっとアレンジした浄瑠璃を再開!

その富本節から、さらに分かれたのが 清元 (延寿太夫を祖)

浄瑠璃中、最も派手で粋な語り口をもち,

滑らかな高音の裏声は ハイスキル (歌声フォルマント)

(浄瑠璃は 歌ではないので、語ると言う)


Puppet theater (ningyō jōruri) emerged in the Kansai region (Kyoto and Osaka) and became a huge hit!! The popular musical storytelling style spread to Edo. Artists who moved to Edo helped establish jōruri there, but due to its overwhelming popularity, the shogunate issued a ban... Reluctantly, a master’s disciple who returned to Kyoto slightly modified the banned jōruri and resumed performing it. From that TOMIMOTO-BUSHI, KIYOMOTO-BUSHI later branched off (with Enjutaifu as its founder). Among the jōruri styles, KIYOMOTO has the flashiest and most stylish narration. Its smooth, high falsetto is a high-level skill (and a singer’s aspiration; the vocal formant of the singing voice).

(Jōruri is not sung, so it is said to be narrated. BUSHI is a kind of melody)



今、清元といえば、尾上右近さん

語れる喉ですから、セリフも聞き良いですね


年配になるほどに、ええ声になるでしょうから、先が楽しみです

(ご本人は 自分の声に味わいが不足というてはりましたが )


清元と、ルーツの義太夫が同時に聴ける 歌舞伎「吉野山 狐忠信」

静御前の出や、二人の道行(旅の途中シーン)では 清元、

忠信が再現して見せる合戦のシーンでは、勇壮な義太夫!太っい棹からの重い音色

 いつか劇場で体感してね!


日本舞踊は歌舞伎から人気ゆえに独立した芸能です


しっかりした体幹を作る基礎訓練を積まないと踊れません

体幹と芸術性を兼ね備えた 固有の芸能を ぜひお稽古してほしい


清元延寿太夫 清元節の家元

KIYOMOTO Enju-tayuh : the head of a school of KIYO-MOTO

① (初世)1777〜1825 富本節から出て,清元節を創始。後年落髪して延寿斎と改名。刺客に殺された。 

(二世)1802~1855  初世の子。名人太兵衛と称され,清元節の基礎を築いた。「三社祭」「神田祭」「明烏(あけがらす)」などを作曲。

③ (四世)1832~1904  河竹黙阿弥(もくあみ)と提携し,劇場音楽としての清元を確立。「十六夜清心(いざよいせいしん)」「三千歳(みちとせ)」「青海波(せいがいは)」などを作曲。

富本節 浄瑠璃の一流派。Tomimoto bush one of a school of Jyohruri

常磐津節から分派して1748年に富本豊前掾(ぶぜんのじよう)が創始。歌舞伎の浄瑠璃として約半世紀間は常磐津節より流行(後、分派した清元節に押されて衰退)


 そもそも「浄瑠璃とは?」 16世紀 語り物の1つ

「十二段草子」の「浄瑠璃姫物語」( 矢作 Yahagui の長者の娘・浄瑠璃御前と牛若丸との恋物語)が大人気に!

他の物語も同じ節回し(一種のメロディ)で語られ出して,浄瑠璃と呼ぶように。


17世紀初め 三味線を伴奏とした人形芝居とコラボさせた人形浄瑠璃が、初め京都で起こり,のち大坂・江戸でも流行した 初期には古浄瑠璃が盛行




もうちょっと詳しく知りたい方へ・・・


江戸の金平(きんぴら)節 kinpira-bushi 古浄瑠璃

明暦寛文(1655〜1673)頃,江戸で盛行

江戸の和泉太夫(いずみだゆう)(桜井丹波少掾(しようじよう))が語り出した

坂田金時の子「金平」という超人的な勇者の荒々しい武勇談

土佐節 tosa-bushi  江戸浄瑠璃 土佐少掾橘正勝が流祖

延宝年間(1673〜1681)頃から江戸に流行。元禄(1688〜1704)頃には「江戸の土佐,京の加賀,大坂の義太夫」ともてはやされた。

外記節 GEKI-BUSHI 薩摩外記(藤原直政)が慶安(1648〜1652)・明暦(1655〜1658)頃に語り始め、荒事風の豪快な語り口で正徳年間(1711〜1716)まで流行したが以後は衰退。河東(かとう)節や長唄の中にその面影が伝わる

京都の伊勢島節 ISE-JIMA-BUSHI 古浄瑠璃

江戸の虎屋源太夫の門人 伊勢島宮内(くない)が語り出した曲風。

慶安承応(1648〜1654)頃,一時上方(かみがた)で流行。

角太夫節 KAKU-TAYUH BUSHI 上方の古浄瑠璃 山本角太夫(土佐掾)が語り出した

哀婉な曲風で「うれい節」と呼ばれて人気get

曲節の一部は義太夫節に取り入れられて残っている

加賀節 KAGA-BUSHI  室町時代の小歌 加賀国の民謡から起こったか

② 寛文(1661〜1673)から元禄(1688〜1704)の頃流行したはやり唄

大坂の播磨節 HARIMA-BUSHI 上方浄瑠璃 井上播磨掾の語り始めた

寛文(1661〜1673)頃。剛健な芸風。愁いと修羅が得意

初期の義太夫節に強い影響を与えた

文弥節 BUN-YA-BUSHI 難波浄瑠璃 岡本文弥が語り出した

延宝~元禄年間(1673〜1704)泣き節といわれ,哀調を帯びた語り方で,京坂地方に流行したが間もなく衰えた。義太夫節と一中節豊後(ぶんご)節の中に節付けが残っている。

義太夫節 浄瑠璃節

1684年 竹本義太夫が大坂の竹本座で義太夫節を語り始め,浄瑠璃は義太夫節の異名ともなった

1684年 竹本座旗揚げ公演で 初世 竹本義太夫が 宇治加賀掾(かがのじよう)など古浄瑠璃各派の芸風や当代流行の各種音曲を取り入れ,新感覚で統一し,より語り出した

のち 門人の豊竹若太夫が独立して竹本豊竹二座に分かれた

大いに盛行し,浄瑠璃といえば義太夫節をさすほどに流布した



【掾】JOH

① 律令制で,国司の判官(じよう)。

② 江戸時代以後,浄瑠璃の太夫の芸名に,国名とともに与えられる称号。

大掾 掾 少掾の三階級があり最高の栄誉とされた。掾号。「竹本筑後―」

豊後節 BUNGO-BUSHI 浄瑠璃

1720年代の京都で,国太夫(くにたゆう)節と呼ばれた都国太夫半中が宮古路(みやこじ)豊後(後に豊後掾(ぶんごのじよう))と改名したのに始まる

1730年代に江戸に進出。心中物を得意として大流行したが,風紀上の理由で官憲に弾圧

狭義の豊後節は一代限りで絶えたが、、その影響は大きく,

この門流から薗八(そのはち)節繁太夫(しげたゆう)節新内節常磐津節富本節清元節などの諸流が派生したので,それらをも含めて広義で豊後節(または「豊後諸流」など)ということ多し


常磐津節 浄瑠璃の一流派。豊後節の分派

1747年(延享4)に常磐津文字太夫が江戸で開流。語り物に歌い物の要素を加味した曲風で,主に歌舞伎の舞踊劇の伴奏音楽として現在に至るまで盛行している。

清元節などの歌舞伎浄瑠璃,

一中節 ICCHU-BUSHI 浄瑠璃節の一種。京都で,都太夫一中が語り出したもの。元禄宝永(1688~1711)頃上方で流行。初代の没後衰えたが江戸末期に再興し現在に至る。

河東(かとう)節 江戸浄瑠璃の一。曲風は優美で渋く,生っ粋の江戸風

享保年間(1716~1736),十寸見(ますみ)河東が半太夫節から分かれて創始。

代表曲「助六」「水調子」「松の内」など

新内節 江戸浄瑠璃 宝暦(1751~1764)頃,富士松薩摩掾の門人 鶴賀若狭掾が創始

鶴賀新内の哀婉な曲節で人気を得た。心中物を得意とし,特殊な情緒をもつ


【唄浄瑠璃】

① 唄がかった浄瑠璃。浄瑠璃は本来は語り物であるが,その中で唄物的傾向の強い流派。河東節一中節宮薗節新内節常磐津節清元節など,義太夫節以外の諸流をさす。

② 長唄の曲種分類。浄瑠璃的性格をもった長唄。特に一八世紀後半に富士田吉次が作曲演奏した「安宅松(あたかのまつ)」ほかの数曲をさす。

清元梅吉 KIYOMOTO Umekichi

清元三味線方。

① (二世)[1854〜1911] 初世の門弟。四世五世清元延寿太夫の立三味線を務めた名人。「雁金(かりがね)」「隅田川」などを作曲。

② (三世)[1889〜1966] 二世の子。五世清元延寿太夫の相方を務めたが,不仲となり,清元流(梅吉流)を創立し家元となる。のち二世寿兵衛と改名。「お夏狂乱」「津山の月」などを作曲。

【清元羽織】KIYOMOTO BA-OLI ( HAORI : half-length coat worn over a kimono )

女物の羽織の一。脇(わきside)に襠(まち gusset )がなく幅の狭い黒繻子(くろしゅす black satin)の襟をつけたもの。

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